こんにちは、ロイヤル麦茶です。

今回紹介する神社は富山県南砺市高瀬の高瀬神社です。

御祭神は大国主命、天活玉命、五十猛命。

創建については神代の昔、または景行天皇11年(81年)と言われており、大国主命が北国開拓の際、当地に守り神を祀り、自らの御魂も鎮め祀った後、出雲に帰ったと伝えられております。

戦国時代には荒廃してしまいましたが、前田藩主の厚い崇敬を受け、手厚く保護されておりました。
明治6年(1873年)に県社、大正12年(1923年)に国幣小社に列せられました。

高瀬神社は式内社および越中国一宮の神社で、城端線の福野駅から東へ3km強の所に鎮座しております。

 

城端線の列車で福野駅にやってきました。

 

福野駅から高瀬神社の近くを通る加越能バスの北川行きバスに乗車します。

 

尚、バスの本数はかなり少ないです。

 

高瀬神社バス停前で下車しました。

 

雪から守る為か、上屋内にバス停が立っておりました。

 

来た道を戻ると大きな鳥居が見えました。

 

鳥居の手前には社号標が建っております。

 

高瀬神社の大鳥居です。高瀬神社の境内北側に建っており、昭和天皇在位60年を記念して建てられたそうです。

 

ちなみに大鳥居が建っている付近には昭和47年(1972年)に廃止された加越能鉄道加越線の高瀬神社駅があったそうです。

 

大鳥居をくぐり、参道入口に向かいます。

 

高瀬神社の参道入口に到着しました。

 

社頭に建つ社号標です。

 

社号標の後方に一の鳥居が建っております。

 

一の鳥居をくぐり、先へ進みます。

 

先へ進むと藤井秀直翁之像が建っておりました。高瀬神社の名誉宮司だった方だそうです。

 

こちらは手水舎です。

 

柄杓が用意されており、手水が出ていたので従来通りの作法で清める事が出来ました。

 

水口は龍でした。

もう一つ水盤がありましたが、お参りした時は使用されていない状態でした。

 

こちらは宝物殿です。一般公開はされていないようです。

 

先に進むと狛犬がおりました。

 

こちらは神馬の像です。

 

拝殿の手前に二の鳥居が建っておりました。

 

二の鳥居の後方に橋が架かっており、橋の先に高瀬神社の拝殿が鎮座しております。自分がお参りしたと時には屋根の葺替え工事が行われておりましたが、工事は終盤に差し掛かっており、真新しい銅板の屋根が見られました。

 

拝殿にはなでうさぎがおりました。

 

拝殿の右手には高瀬稲荷社と茶筅塚があります。

 

高瀬稲荷社の鳥居です。

 

鳥居の右手には社号標が建っておりました。

 

高瀬稲荷社の社殿です。

 

こちらは社殿の前にいた神狐です。

 

高瀬稲荷社の右手に茶筅塚があります。

 

茶筅塚へと続く道を進みます。

 

茶筅塚が見えてきました。

 

茶筅塚の前に到着しました。茶筅塚は使えなくなった茶筅への感謝と茶道の発展・普及を願い建立されたそうです。

 

高瀬神社の拝殿左手には功霊殿があります。

 

こちらは功霊殿の水盤です。

 

功霊殿には日清・日露戦争から大東亜戦争の間に砺波地方から出征された護国の英霊と当地の開拓功労者を祀っております。

 

授与所で御朱印を頂きました。

 

 

功霊殿の御朱印も頂いております。

 

高瀬神社のお参りが済んだので、高瀬神社前バス停から福光駅に戻ろうとしたもののバスはしばらく来ないので、別のバスを乗車すべく、高瀬神社から東へ進みました。

 

Googleマップのナビ機能に従いサイクリングロードに入りますが、加越能鉄道加越線が廃止されるまでこちらには加越線の線路が通っておりました。廃線後、ほぼ全線がサイクリングロードになっているそうです。

 

50年以上前に列車が通っていた道を進みます。

 

先に進むと井波町物産展示館がありました。こちらは加越線の井波駅の駅舎を再利用したものです。尚、井波駅は現在の位置より西にあり、加越線廃線後に現在地に移されました。

 

井波町物産展示館のそばにある井波バス停から高岡駅行きのバスに乗車し、高岡駅に戻りました。

 

 

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