こんにちは、ロイヤル麦茶です。
今回紹介する神社は富山県射水市八幡町の放生津八幡宮です。
御祭神は応神天皇と仁徳天皇。
天平18年(746年)、越中国司として赴任したに大伴家持が奈呉浦の風光を愛して豊前国から宇佐八幡神を勧請して奈呉八幡宮と称し、正和年間(1312年~1317年)に越中守護・名越時有が社殿を造営したと伝えられております。
新湊港の近くに鎮座しております。
前回投稿した記事で紹介した奈呉浦西宮神社をお参りした後、歩いて放生津八幡宮へ向かいました。
放生津八幡宮をお参りしたのは8月で、朝から物凄く暑かったです。放生津内川の横を歩いている時はわずかながら涼しく感じました。
放生津内川から離れ、先に進むと大きな御蔵がありました。
毎年11月1日に行われる放生津八幡宮の曳山行事で巡行する曳山が安置されております。
日傘をさしていたので太陽の日を直接浴びる事はありませんでしたが、暑いものは暑い…。
こちらは放生津八幡宮の近くにある射水市コミュニティバスのバス停です。放生津八幡宮最寄りのバス停ですが、タイミングが悪くバスに乗る事は出来ませんでした。
放生津八幡宮の前に到着しました。
社前に建つ社号標です。
こちらは社前に建っていた銅像です。
こちらは卯尾田毅太郎氏の銅像です。
卯尾田毅太郎氏の銅像左手にある道を進むと放生津八幡宮の境外社、魚取社があります。
先に進むと魚取社の前に到着しました。
鳥居をくぐると魚取社の本殿があります。魚取社には事代主命が祀られております。
参道入口に建つ一の鳥居の前に戻りました。
一の鳥居をくぐると榎の木が立っておりました。
参道を進みます。
先に進むと参道は左に曲がっておりましたが、そのまままっすぐ進むと境内社の祖霊社があります。
祖霊社の手前には水口と水盤がありました。
祖霊社の鳥居です。
鳥居の右手前には社号標が建っておりました。
祖霊社には大伴家持が祀られております。
こちらは祖霊社の本殿前にいた狛犬です。
こちらは放生津八幡宮の二の鳥居です。
二の鳥居のそばには砲弾がありました。
砲弾は寺内正毅より奉納されたものだそうです。
令和の時代になりました。元号令和の出典となった万葉集の時代からタイムスリップをしてきた、令和時代(れいわ ときよ)さんが、万葉集を編纂した大伴家持の子孫の方の所へご挨拶に伺いました。#令和 #令和時代 #万葉集 #放生津八幡宮 #ゴールデンボンバー pic.twitter.com/k6MtZyVvh5
— 雷鳥 ゆーいち (弟) (@raicho_yuichi) April 30, 2019
由緒書きに宮司様の名前が書かれておりますが、名字が大伴だったので調べてみたところ、大伴家持の子孫になるそうです。ひょっとすると放生津八幡宮の宮司は大伴家持の子孫が代々務めているのかな!?
鳥居をくぐると放生津八幡宮の曳山・築山行事が国の重要無形文化財に指定された記念に建立された記念碑があります。
こちらは参道の左手にありました手水舎です。
柄杓が用意されており、手水が出ていたので従来通りの作法で清める事が出来ました。
こちらは参道の右手におりました神馬(の像)です。
こちらは手水舎の先にありました瀬織津殿です。
中には瀬織津姫の木像が安置されております。
こちらは参道におりました狛犬です。
放生津八幡宮の拝殿です。
拝殿に掲げられている扁額です。
拝殿には大きな木製の狛犬もおりました。
こちらは本殿です。
こちらは霊松殿の左方向にありました神輿殿です。
放生津八幡宮の本殿右手には境内社がありました。
こちらは境内社の手前に建つ鳥居です。
鳥居をくぐると來名戸社があります。
來名戸社の隣には火之宮社があります。
境内社の付近から放生津八幡宮の境内東側にかけて石碑がいくつか見られました。
こちらは放生津八幡宮の本殿後方ですが、塀が建てられておりました。海が近いので風や海水を除ける為に建てられたものだと思われます。
社務所で御朱印を書いて頂きました。金粉が付けられております。
放生津八幡宮でTシャツの授与が行われていたので頂きました。背面に社名と社紋が入っております。 pic.twitter.com/ZmfjOlyiEv
— ロイヤル麦茶 (@royalbarleytea) August 22, 2023
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