爆発のスリルに取り憑かれた男を描いた「ハートロッカー」のキャサリン・ビグロー監督が次に選んだのは、大物テロリスト追跡に取り憑かれた女が主人公の「ゼロ・ダーク・サーティ」だった。
どちらも異常な緊張感の中でしか生きていけなくなった者達の物語である。
90年代の終わりからビン・ラディン率いるアルカイダとアメリカの対立は激化、9.11でアメリカは未曾有の被害を受ける。
その後姿を消したビン・ラディンを探し、CIAパキスタン支局にあるビンラディン追跡テーム の活動は焦りから日に日に非人道的で容赦のないものになっていった。
そこにやってきた女性情報分析官マヤは着任早々捕虜となったアルカイダの金の運び屋への拷問による尋問に立ち会い目をそむける。
運び屋は一向に口を割らなかったが、マヤの機転で突破口が開き、ビンラディンと非常に近い連絡員アブ・アフメドの存在が明らかになる。
それから10年、マヤは執念でアブ・アフメドの身元を割り出すと、ビン・ラディンの隠れ家である邸宅を突き止める。
やがて決行の時
エリア51から秘密裡に運ばれたステルス型ブラックホークに乗り込んだ海軍特殊部隊シールズの精鋭が隠れ家を襲撃した。
攻撃開始時刻は、
“ゼロ・ダーク・サーティ”(夜中の0:30)
拷問、途方もない額の賄賂、罪もない人々の犠牲も厭わない非合法活動と、鬼畜と化したアメリカのなりふりかまわぬ所業は、テロリスト集団vs超大国の戦いがモラルなき殺し合いであることを改めて感じさせる。
ここにアメリカの正義は存在しない。
ドキュメンタリータッチのクールな視点で、所々インパクトを与える場面が盛り込まれ長尺ながら退屈させない。
圧巻は30分にも及ぶ特殊部隊シールズの襲撃シーン。
プロの目から見るとリドリー・スコットの「ブラックホーク・ダウン」には及ばないとのことであったが、多くの人が実戦を追体験しているような感覚に捕らわれたに違いない。
クライマックスに主人公が不在になるのを避けるためか、CIAのアナリストであるマヤがなぜか軍事作戦の本部にいるのには違和感を感じたが、それよりも気になったのは、監督の主人公への熱い思い入れである。
マヤはそのルックスや境遇から見てキャサリン・ビグロー自身の投影であることは間違いなく、監督の主人公への強烈な感情移入に感化されて、これがすべて正しいことのように感じてしまわないように気をつけなければいけない。
映画はあくまでも1人の情報分析官を通して見た9.11からビンラディン暗殺に至るまでの経緯を再現したものであって、散りばめられた事実を冷静な目で見る必要がある。
そもそもアフガニスタンに侵攻したソ連軍に対抗するため当時ビン・ラディンがいたムジャヒディンを支援したのは他ならぬCIAで、アルカイダが危険になると今度は対抗組織に武器を与えたりと、CIAはテロ組織をいいように利用してきた。
そのツケを罪もない国民が払わされたという意識がまったくないように思える。
「殺す相手をここに連れて来い」とマヤの上司だったか誰かが怒鳴るシーンがあったが、実際にこんな事を言ったのかどうかは別として、自分達でテロ組織を育てておいてその言い草はないだろう。しかも自分では手を汚さないくせに。
そういうCIAの正義の味方づらが終始腹立たしく感じた。
またビン・ラディンを初めから殺すつもりだったのも気に入らない。
「テロリストは逮捕せずに殺す」というのがカウンターテロの鉄則だ。
逮捕してもまた新たなテロの口実になるからである。
だが、これほど大規模に殺害し、公にしたのであればどちらにしろテロの口実になる。
であればこれだけの大物テロリストをまったく取り調べることもなく殺害していいものだろうか。
ナチスの戦犯アイヒマンはイスラエル諜報部モサドに南米から誘拐され裁判にかけられ処刑されたが、ビン・ラディンもそうすべきだったのではないか。
数多くの陰謀説が飛び交っているが、生きていられてはアメリカ側に都合の悪いことがあったのではないかと疑われてもしかたない。
それにしても圧倒的な武力とハイテク機器を駆使してテロに対抗することだけが本当の解決なのだろうか。
悪魔を生み出したのはアメリカ自身にも責任がある。
それに気づいているアメリカ人は何人いることやら
もしかしてマヤは気づいたのだろうか?
ビン・ラディンが殺害され帰国の途に着いた時、「行き先は?」と聞かれて彼女は何も言えずに涙を流す。
彼女に残されたのは自分の一部がなくなってしまったかのような喪失感だけだった。
ビン・ラディンは会社組織で言えばCEOのような存在であり、9.11同時多発テロの実行犯でも立案者でもない。首謀者はアルカイダの幹部ハリド・シェイク・モハメドだ。
つまりビン・ラディンが死んだところで何も変らないのだ。
スティーブ・ジョブズが亡くなってもアップル社の製品がなくならないのと同じように
映画は事実を再現したが、真実の夜明けはまだまだ遠い気がした。