真実の隠れ家 | ◆◆ ロイの書斎 ◆◆

◆◆ ロイの書斎 ◆◆

頭に浮かんだことをエッセイ風に書き綴っています

ミステリーの要素を絡ませながらイスラム社会の問題点に踏み込んだイラン映画「彼女が消えた浜辺」を監督したアスガー・ファルハディ監督の「別離」は、行き詰まり、身動き取れなくなった人々のリアルな人間像を描き、アカデミー賞外国語映画賞受賞という箔までついた。

銀行員のナデルと妻で教師のシミンは、もうすぐ11歳になる一人娘のテルメーとナデルの父との4人家族。
シミンは娘の将来のため海外へ移住する許可を1年以上かけてやっと取ったが、その矢先ナデルの父親がアルツハイマーになり、父親の面倒をみるため海外には行けないとナデルが言い出した。
これにシミンは猛反発。離婚してでも娘は移住させると、実家へ帰り夫婦は離婚裁判に突入する。

その間ナデルは父親の介護をするためにラジエーという女性を雇う。
実は彼女は妊娠していたが、夫が失業していたため仕事を探していたのだった。

ある日ナデルが帰宅すると、ラジエーは留守で、その間父親はベッドにくくりつけられ意識不明になっていた。
激怒したナデルはさらに家の金が無くなっていたことに気づき、その金額がラジエーに渡すはずの額とぴったり一致していたため、犯人をラジエーと決めつけ解雇する。
ラジエーはぬれぎぬだと主張し言い争いになり、ナデルはラジエーを部屋から追い出すが、その時突き飛ばされたラジエーは階段から落ちて流産してしまう。
ナデルはラジエーに訴えられ、裁判になるが…。

登場人物がみんなそれぞれに深刻な悩みを抱える濃厚な人間ドラマで、それが執拗な描写で迫ってくる。
特に2人の女性が対照的なのは見逃せない。
おしゃれでカラフルなスカーフを頭に巻く都会的雰囲気のシミンと、黒ずくめの民族衣装を身に纏い、何をするにもイスラム教の聖職者に電話で相談するラジエー。
インテリで西洋的な生活をしている家族は裕福で、イスラム社会の伝統的な生活をしている家族は貧しいという構図は、生活レベルの格差が宗教的束縛と反比例しているのではないかと思わせる意味深な対比となっていて、宗教的にもデリケートな部分にまで踏み込んでいるように思えた。

前作同様問題の掘り下げが巧みで、観る人の立場によって見方が変わる多面的な奥行きがある。
そのためあえて明確な結論を押し付けようとはしないが、逆にそれがどうもすっきりせず、少しずつ謎が解き明かされていくが、なくなった金はどうなったのか?、ラジエーは本当にナデルのせいで階段から落ちたのか?など色々と気になるところが明らかにならないまま物語は終わり、もやもや感が募ってくる。

このように謎を散りばめながらすべてを解決させずに収束していく語り口は、ミヒャエル・ハネケ監督(『隠された記憶』『白いリボン』)の作品を彷彿とさせる多義性を持っていて、その後いったい家族はどんな選択をするのだろうか?と無性に想像力をかき立てられる。

イラン社会の特殊性だけが描かれているのではなく、子供の教育、介護、男女の価値観の違い、夫婦のあり方などは普遍的な問題だと思う。
それが異文化の氾濫と、急激な近代化によりさらに複雑化していく。
そんな現代社会を生きていく上で、古い因習や信仰や社会制度とどう折り合っていけばいいのか?

そういう閉塞感が画面から漂い、ささくれだっている感じを与えながら、はっきり物が言えない社会への批判が映画の中に様々な形で隠れているように思えた。
その「真実の隠れ家」を自分なりの立場で見つけることがこの映画を読み解く鍵だと思う。