恐怖の積分、微分の呪い | ◆◆ ロイの書斎 ◆◆

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頭に浮かんだことをエッセイ風に書き綴っています

紀元前3世紀、王冠の体積の計り方を風呂場で思いついたアルキメデスは、あまりにもうれしくて真っ裸で街中を走り回ったそうだ(今なら捕まってるな)。それが積分の始まり。
では微分は?なんとそれから2000年も後に考え出される。

では、なぜ微分はそんなに遅れたのかと言うと、それは座標の発明を待たなければいけなかったからだ(グラフがないと微分は解けない)。
これを思いついたのがデカルトである。彼は兵役にいる時、蜘蛛が格子状の天井を這う夢を見て、座標を思いついた(すごすぎる)。
こうしてグラフの発明後、ニュートンやライプニッツらによって微分と積分の関係が次第にあきらかにされていくのである。

つまり積分は微分の逆演算という教科書の考え方は、微分が考え出された後に証明されたもので、積分しか存在しない長い時代があったのだ。なのに、学校では微分積分はセットで教えられ、必ず微分から習うことになる。
計算式はたしかに積分の方が難しく、教える側からすると微分から教えた方が簡単かもしれない。
しかし、概念的には積分の方がわかりやすいのである。

積分とは面積を分けて計算すること。例えばトイレットペーパーの巻きの大きさから長さを計る、ツボの大きさから体積を計算する。これらは積分の考え方で知ることができる。

何年か前に一番怖いホラー映画は何か?という調査が行われ、結果はキューブリックの「シャイニング」だった(これには異論があるが、横道にそれるから省略)。これは恐怖の要素を細分化して合計する。すなわち恐怖の積分をした結果である。

一方、微分は曲線の部分、部分の傾きである。曲線の任意の点に接線を引くことと言い換えてもいい。その概念は突き詰めて行くとどんどん抽象的になっていく。車である場所まで移動したとしたら、走行距離を微分すると速度がでる。速度をさらに微分すると加速度になる。積分と比べると理解しにくいが、全体の中のある瞬間のふるまいに迫るものであるとも言える。

ジョン・カーペンター監督の「パラダイム」は、呪いを科学的に分析したホラー映画だが、この中で呪いは微分方程式になると言っている。
呪いが心の中のある一部であると考えるとこれもうなずける。
また、膝丈スカートが一番脚が細く見えるのも、ハイレグが脚が長く見えるのも無意識に曲線に接線を引いた目でみてしまうからで、微分のデザインへの応用とも言える

このように微分積分はいろんなところで世の中に使われているのだが、学校で最初に勉強する時に単に式を覚えて数学の道具として使うだけでなく、その発展の歴史を知ることも重要なのではないかと思うのだ。

私には子供がいないので、学校の先生に言うチャンスはないが、もし微分積分を習おうとする子供がいたら一度先生に「積分から教えようと思ったことはないですか?」と聞いてみてほしい。
もしかしたら積分から覚えた方が微分積分がわかりやすくなるかもしれない(保証はしません)。