史実とはこんなものだろう | よたろうさんのネタ保管箱 別館
【土・日曜日に書く】論説委員・石川水穂 不確かな“中国の恩人”顕彰
2010.7.17 03:05
≪奈良を空爆から守る?≫
奈良県で平城遷都1300年記念事業の一環として、先の戦争で同県の文化財を米軍の空襲から守ったとされる中国の建築家、梁思成氏(1901~72年)の銅像を奈良市内に建てる計画が中国と同県の間で進められている。
奈良県によれば、梁氏は明治時代、日本に亡命していた革命家の子として東京で生まれ、1912年に中国へ帰国した。清華大学を卒業後、米ハーバード大などで建築史を学んだ。中国国民党政府の故物保存(文化財保護)委員を務め、戦争中、奈良・京都の文化財を米軍の空襲目標から外すよう、米側に進言したとされる。
だが、この話は平成20年末、中国側から日中友好協会と薬師寺を通じて奈良県に持ち込まれ、奈良県が調べたものではない。
梁氏は戦後、中国共産党政府の全国人民代表大会(全人代)常務委員などの要職も務めた。
中国側はすでに、“古都を救った恩人”として梁氏の銅像を制作し、先月12日、北京での披露式典に、奈良県の窪田修副知事と日中友好協会の村岡久平理事長らを招いた。窪田副知事は「梁先生は奈良を守ってくれた恩人。日中友好の歴史を改めて確認できて大変感謝している」と述べた。
銅像は10月末、奈良県に寄贈され、同県文化会館の敷地内に設置される予定だ。
≪歴史学者が重大な疑義≫
これに対し、歴史学者らは中国から持ち込まれたこの“恩人”話に重大な疑問を投げかける。
麻田貞雄・同志社大名誉教授は「梁氏がいつ、どこで、米軍のどの航空部隊の指揮官に空爆中止を進言したのか、明確にされていない」として、銅像の設置に強く反対している。麻田氏は著書「両大戦間の日米関係」で吉野作造賞を受賞した日米関係史の権威だ。
麻田氏によれば、京都は当初、原爆投下の目標になっていたが、スティムソン米陸軍長官の決定で対象から外されたことがはっきりしている。奈良は空襲するだけの戦略的価値がなく、もともと米軍の空襲リストになかった。
スティムソンが京都を原爆の対象から外したことは、同志社大教授だった故オーティス・ケーリ氏らの研究で明らかにされた。ケーリ氏はスティムソンが大正15(1926)年秋に京都の都ホテルに泊まった記録や陸軍次官補だったマクロイ氏の証言などから、この事実を突き止めた。
麻田氏は「仮に、梁氏が奈良・京都の空爆中止を進言したとしても、その歴史的意義は限りなくゼロに近い」と指摘する。
日本側の記録でも、京都や奈良の空襲による被害は他府県に比べて少ない。
現代史家の秦郁彦氏も「当時、日本の文化財を空襲から守りたいと考えていた海外の専門家は何人かいたはずだ。梁氏が中国の米軍航空部隊に進言したとしても、それが日本空爆の最終決定権者であるスティムソンにどんな形で伝わったかが分からなければ、ほとんど意味はない」と話す。
≪「米の恩人」はあり得る≫
これまでも、日本の文化財を空襲から守ったという外国人の話が一部で伝えられている。その代表的な例は、米ハーバード大で東洋美術を教えていたラングドン・ウォーナー博士(1881~1955年)が奈良・京都を空襲から外すよう米当局に進言したという“ウォーナー伝説”である。
この話も確証は得られていないが、今回の“中国の恩人”話よりは信憑(しんぴょう)性が高い。
終戦直後の昭和20年11月11日付朝日新聞は「京都・奈良無疵(むきず)の裏」「『人類の宝』を守る」「米軍の陰に日本美術通」との見出しで、GHQ(連合国軍総司令部)の高官が伝えた話として、ウォーナー氏が米の「戦争地域における美術および歴史遺蹟(いせき)の保護救済に関する委員会」で、京都と奈良を空爆の目標から除外しようと献身的な努力を尽くした、と報じた。
秦氏は「ウォーナー氏がスティムソンに働きかけたことはあり得たかもしれないが、梁氏にその可能性はほとんど考えられない」と話す。麻田氏もほぼ同意見だ。
日中友好協会によると、梁氏の銅像作りは数年前、前会長の故平山郁夫氏(元東京芸大学長)と中国側の間で話し合われた。「確証はないが、日中の交流を進めるうえで悪い話ではなく、平城遷都1300年記念事業が行われる奈良県に相談した」という。
今秋、奈良県と中華社会文化発展基金会の共催で、中国からの文化の伝来と奈良を空襲から守ったという文化の保存に感謝するための「日中友好フォーラム」も、奈良市内で開催される予定だ。
奈良は多くの修学旅行生が訪れる。不確かな歴史を独り歩きさせないためにも、奈良県に再考を求めたい。(いしかわ みずほ)

