今日YouTubeをだらだら見て思ったことです。

 

いじめをしている人間は必ず長い目で見れば不幸になるか、死んで地獄に落ちます。今はとてもそう思えなくとも、因果応報などあるもんかと思っていても、社会がどれだけ狂っていても、私にはそういう確信が生まれました。

 

人をいじめる人間はたいてい家庭環境のせいかどこかが歪んでいて、歪んだ優越感を得るために何も言い返せない人間を探していじめをします。そういう人間に対しては逃げるしかありません。

 

くれぐれも復讐してはいけません。復讐などしようものならいじめる人間の思う壺で、そういう人は地獄に行く道連れを探しているのです。もっとも、とても心がもたないので復讐するのを考えるだけならOKです。

 

ここで唐突ですが、私の体験談を話そうと思います。私は20年以上前、とある喫茶店でウエイターのバイトをしていましたが、なにやら私に敵意を持っている人間がいました。仮にHとします。マスターに聞いてみるとどうやら、Hは家庭環境が複雑で素行が悪く、前に喫茶店のマスターにウエイターのバイトを申し込んだが断られたので、ウエイターになった私を逆恨みしているようなのでした。私にしてみればそんなの知ったことではないのですが、私が働いているととにかく敵意を持って細かい嫌がらせをしてくるのです。

 

そんな時に、喫茶店の向こうで火事がおきました。丁度私が働いている時でしたので、窓から消防車や救急車がどんどん集まっているのが見えます。Hもその時店にいました。そんな時私は何気なくあることを思いつきました。これは、チャンスではないのか?

一瞬迷いましたが、私はこの千載一遇のチャンスを使うことに決め、Hの前に立って指をさして笑いながら言いました。

 

「君が火をつけたんじゃないの?」

 

効果はてきめんでした。彼は表情を変えて、非常に悔しそうな顔をして喫茶店を去りました。この時私は彼に勝ったのです。彼が一生かかっても返せないような屈辱を与えたのですから。今でも、思い出すたびにざまーみろという優越感が湧き上がります。

 

しかし、それから20年以上経ちますが、このことを思い出すと優越感と同時に、私は本当に彼にあの言葉を言うべきだったのか、結論が出ない考えに襲われます。自分を守るためだったとはいえ、嫌がらせをされていたとはいえ、言って良かったのだろうか。

 

結論から言うと、やはり言葉を飲み込むのが正解だったと今は思います。その時は勝って一時の優越感を得ることができましたが、優越感を得るのと同時に後味の悪い感情が湧き上がってくるのです。彼の憎悪に、私も憎悪で応えてしまった。それこそが彼が意識していなくとも思う壺だったのです。私は彼にどんな嫌がらせをされても耐え忍ぶべきでした。

 

だから、きれいごとに聞こえるかもしれませんが、今はいじめられていても、後から「いじめる方でなくてよかった」と振り返る時が必ず来ると思うのです。負けるが勝ち、という言葉もありますし、復讐は何も産みません。この社会は狂っていて、とてもそんな日が来るとは思えないかもしれません。でも、生きていればすべては移り変わるのです。

 

生きてさえいれば。

 

とにかく逃げられるうちは逃げましょう。