お久しぶりです。昔はインターネットで日記を書いていたり、それこそ書くことは無尽蔵にあってネタが尽きなかったおたんびーですが歳をとったせいか、昔ほどスラスラ書けなくなりました。という言い訳はいいとして。
昨日はべてるの家の向谷地生良さんを迎えて当事者研究というものをしました。後藤誠子さんがすごくリスペクトしている方で、興奮して夜も眠れなかったと言うのを聞いても、恥ずかしながら私は向谷地さんという人がどういう人か一切知らなかったし、当事者研究って何?という感じで参加しました。みんなが生きづらさや弱さを出し合ってもいいんだよ、ということなので私も正直に、生きづらさではないですが困りごととして、衝動買いの癖があって散財してしまうことを話しました。結果的にその話題はスルーされてしまいましたが、話してよかったと思いました。
それで、さっきまで向谷地さんのことをインターネットで調べていたのですが、少し気になった文章があったので紹介させていただきます。
長いので私が紹介したいところだけかいつまんで書きますが、向谷地さんと"無差別殺人したい"と公言する青年と毎日電話で対話する中で、最初は無差別殺人をほのめかして周囲を困らせていた青年が、徐々に変わっていって「俺、寂しいんだ」と言うようになったというのです。これを読んで私は気がつきました。
「私は寂しかったから衝動買いしていたのではないか」
皆さんは、知人から「私は寂しいです」と言われたらどう思うでしょうか。私なら心の中で舌打ちして、「みんなそうだと思いますよ」と言うでしょう。おそらく皆さんもそれに近い感情だと思います。現代のこの世界で「寂しい」というのはタブーなのです。みんなそれを感じていながらも我慢しているのだからお前だけ寂しい顔をするな、というわけです。私は嫌いですが、一世を風靡した新世紀エヴァンゲリオンというアニメでも、「寂しさ」というのもキーワードの一つになっていたと思います。
むろん、私がこれに気がついたから衝動買いがすぐに治まるわけではありませんが、ただ、自分の気持ちに気がつけて良かったと思います。自分の寂しさの本質については、夏目漱石が小説「こころ」の中で、先生という登場人物にこんな言葉を言わせています。
"自由と独立と己れとに充ちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう"
この言葉には、私が見つけた以下の向谷地さんの言葉を借りて返答としたいと思います。
"夜勤の仕事の間に読んだ、たくさんの本の中で「人間とは苦悩する存在である」というヴィクトール・フランクルの言葉に出合いました。「苦悩から逃げずに前向きに苦悩することが最も人間らしい。そこに希望がある」というのです"
私も衝動買いすることで自分の中にある苦悩から逃げていたのかもしれません。(逃げるのは一概に悪いとは思えませんが)
もっと当事者研究などを重ねて自分と向き合って、自分の中にある苦悩とは何かを知っていければと思います。
寂しさは決して埋まらないけれど、それを自分で引き受けることができる根拠を。
うーん、今回もきれいにまとまりすぎたな。
