情報が溢れすぎてて

実際何が真実かを

見分けることが

難しくなっている。


しかし、テレビニュースは

真実が少数なのも分かってきた。

調べることの重要性もある。


だが、

なにより大切なことを忘れてはいけない。

自分が自分を、信じること。


人を疑い、情報を疑うことは、

今の時代必要なことかもしれない。

しかし、スマホの中の情報、

テレビの中の情報、書物の中の情報。

自分のところへやってくる

全ての情報は必然であり

意味のあるものであること。


それが、ウソの情報で

騙されていたとしたなら、

それは今自分自身が

騙される必要があるから

騙されることになっただけだ。

騙された経験が

全て悪ではないということだ。


真実を知ろうとすれば、

調べることで真実へ

近づけるであろうが

それもその過程に意味があり

その過程で自分が何を思い、

なにを感じたのか。

そこが1番大事。


今経験していることが、

試練でも、幸福でも、

その中で何を感じたのか。


特に試練の中にいる人は

試練を経験する中にかなりの

濃厚な学びが得られるだろう。


濃厚な学びの途中は

苦しく辛く逃げ出したくなり

なんでこんな目に

合わなくてはいけないのかと

神様なんているものかと

信心さえも失うかもしれない。


それでも、その経験があるからこそ

普通の日常にも感謝を感じられるほど

大変な経験だったならば、

その人の幸福度は

計り知れないほど

ハードルが低く、幸せだと

感じるチャンスも倍々にあがるだろう。


それだけ大変な経験を経ていなければ

普通の1日を幸せだと感じることもできず、

普通の日を退屈だと感じたかもしれない。


試練が深いほどに

良いことがあったら

その感じ方は

格別のものになるだろう。


自分の周りに当たり前にあった環境や

当たり前にいた存在がいなくなった時

足りない感情を持つだろう。


『ある。』が当たり前になれば、


『ない。』に変わった時、


なくなった…と感じる。



『辛い。』のあとに


『辛くはない、日常、普通の日。』


を経験すると、

その日常に有り難ささえ感じられる。



人は反対の経験なしには

反対の感情は分からない。


お金持ちにアイスを奢っても

さほど喜んでもらえないでしょうが、

普段アイスなど食べられない人は

アイスの味は格別なもので

嬉しい時間になるでしょう。


どちらが幸福だと思いますか?




私はどちらも幸福であると考えます。


幸福だと感じるハードルが

低く物質的に幸せを感じやすいのは

後者でしょうが、

その分試練も経験しています。


人は皆、自分の魂にとって

都合のいい経験しかしません。

その為、自分の希望とは裏腹に

現実はやってきます。


ほとんどが潜在的な思考の結果ですが、

カルマという、魂の課題のような

ある程度これを経験するという約束は、

自分の成長に繋がる経験を起こします。


それを経験し、どう行動し、

どう考え、何を感じたのか。

その過程が自分という、

一人の人間を創り、人生という

時間を重ねるのです。


肉体にはタイムリミットがあります。

その間、その肉体と仲良くする為に

口にする食を選ぶこと、

口にする言葉を選ぶこと、

自分を大切にする事で

肉体を維持し、

自分に与えられた時間を

どう過ごしたいか。


感覚を研ぎ澄ませて

自分の心の声に耳を傾けてくだい!