薨去された師の御誕生日に
日生劇場で、【天保十二年のシェイクスピア】を拝見しました。
同作品の大千穐楽?迄、
YouTubeのチノポスで、師が語られた【天保に関する箇所】をブログで、御衣黄なりにまとめてみます...
よろしければ、お付き合いくださいませ。
因みに、題の日付は学んだ日です。
では、本題へ...
御衣黄の覚書から、記します。
*詳細が気になった方は
著書やYoutubeを探して
確認してくださいね
竹内の日本史書いて覚える(P119-P121)参照
チャンネルむっちゃん「天皇篇・119代光格天皇」参照
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・松平定信とは…
筆頭老中と、考える。
カレも、また、
田沼にワイロを送っていた。
寛政の改革(重農主義に転換)をする。
田安家(徳川吉宗の家柄)出身の為
将軍になれる、立場であった。
なのに、何故か?
白川の松平家に出される。
・歴史は歴史家が創る…
歴史家は自分の考え方、視方を
盛り込むものである。
「宇下人言ウゲノヒトコト(松平定信の自伝)」で
酷く、田沼意次の悪口が書かれているのは
その所以であろう...
因みに、宇下人言とは
「定信」を改示している...
確かに...Σ(・□・;)
・・・。
・尊号一件却下!
徳川家斉の失脚の原因となる。
珍しくも、朝廷側が
典仁親王(光格天皇の父)に
「太上天皇」の地位を贈りたいと主張。
光格天皇は分家(宮家)から
入った天皇の為
父親が天皇に即位していなかった。
これに、松平定信が反対。
なぜならば...
徳川家斉の父「一橋治済」も
将軍に即位していなかったからだ。
この件に乗じて
治済を「大御所待遇」にしたら
西の丸に入られ、同氏に実権が移ってしまう...
松平定信は、そう、考えていたのだ...
男の出世欲は底なしですね...
・・・。
最終的に、朝廷側とケンカになり
老中・松平定信はクビとなる。
お読みいただいた方、ありがとうございます✨️
現在、同座組は
「福岡県・博多座」を経て
「富山県・オーバード・ホール(千穐楽)」で
公演されています。
来週は、いよいよ、
大千穐楽の地「愛知県・愛知県芸術劇場」ですね。
御出演者様・奏者様・裏方様のご無事を
心よりお祈り申し上げます。