前置きを少々...
前回のブログ(歴史を変えた女達・篤姫篇 その壱)でも
記載した通り
御衣黄は、先生の講義に
ほぼ付いていけなかった(泣)
そんな状態で
3月某日、
【日生劇場・太平洋序曲】を拝見するのは
明らかに、悪い...ので
放置していた、
チノポスの日本史講座(Youtubeで無料)
の続きを再開致しました。
幕末まで、努めます!
・・・。
因みに
題の日付は学んだ日です。
現在は、お陰様で
順調に拝聴しています。
それでは本題へ...
御衣黄の覚書から
気になった点を記します。
*詳細が気になった方は
著書やYoutubeを探して
拝見してくださいね。
竹内の日本史書いて覚える(P58〜P60)参照
チャンネルむっちゃん【百人一首篇】45番 参照
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・安和の変
源(多田)満仲は、藤原氏に協力し
源高明を密告。
結果、大宰権帥に左遷される。
この事件を以て
藤原氏の他氏排斥は完了。
以後、摂関常置となる。
・摂関 1番目 藤原伊尹これただ
円融天皇(冷泉天皇の弟)が
幼少(11歳)で即位した為。
和歌所別当。
百人一首では謙徳公である。
「あはれとも いふべき人は 思ほえで
身のいたづらに なりぬべきかな」
あぁ、私が死んでしまっても
思い浮かべてはくれないのだろうな...
私はどうしようもなく、貴女が好きなのに...
(壮年女の歌意訳)
失恋の唄だそうです…
摂政太政大臣まで
上り詰めたのにも関わらず
仮名を持っていた。
「大蔵史生倉橋豊蔭」である。
自身の歌集では
「仮名を使ってゲスなれど
若かりし頃は女の元に行った」
と記されている。
つまり
女好きであった
ことが推測される。
まぁ〜、
摂政太政大臣の地位に
釣り合わない!
と言われてしまう様な
女が好みだったのですかね...
・・・。
宮中外の女...
出るとこは、出ていた?!
宮中の女...
寸胴?!
お読みいただいた方、ありがとうございます✨