前置きを少々...

 

前回のブログ(歴史を変えた女達・篤姫篇 その壱)でも

記載した通り

御衣黄は、先生の講義に

ほぼ付いていけなかった(泣)

 

そんな状態で

3月某日、

【日生劇場・太平洋序曲】を拝見するのは

明らかに、悪いので...

 

放置していた、

チノポスの日本史講座(Youtubeで無料)

の続きを再開致しました。

 

幕末まで、努めます!

 

・・・。

 

実は、3日間、サボりました。

 

現在は、順調に、拝聴できています。

 

誰に何を言われようとも

私にとって

その時間を取ることは、重要...

 

チノポスの学びを始めてから

数日、経ち...

 

ブログに、内容を上げる時は

 

そのタイミングだった

そういう流れがキテイル

 

というコトを感じています。


上に、書かされているの

カモしれません。

 

それでは本題へ...

 

御衣黄のノートから、記します。

*詳細が気になった方は

著書やYoutubeを探して

拝見してくださいね。

 

竹内の日本史書いて覚える(P57)参照

 

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・「和歌所」

 

村上天皇が役所として設置

 

皇居の梨壺(部屋の名)に集められた

5人が【和歌所寄人】と呼ばれる。

 

清原元輔(清少納言の父)が

その一人である。

 

「 契りきな かたみに袖を しぼりつつ 

末の松山 浪越さじとは 

激しく抱き合い、歓喜の涙を流しながら

あなたと私の愛情は

いつまでも続くと誓い合いましたよね。

なのに...

どうして、心変わりしたのですか...

 

おばさん!

相変わらず、意訳過ぎるわよ。

 

百人一首に、選歌されていますよね。

 

松...松ぼっくり...松ふぐり...

そして、山...

 

波...海水...塩水...

 

なるほど〜(*ノωノ)

契り(交合)を示唆しているのね。


・・・。 


俺は

「浮気男じゃない!一途です!」

がよく表されていますね。

 

さすが...です。

 

お読みいただいた方、ありがとうございます✨

 

Youtubeチャンネルむっちゃん【百人一首篇】が

気になり、42番を確認しました。

 

当時、毎日拝聴に

付いていけなくなり、挫折しました。

 

確認して、びっくり!

 

先生は

 

「 契なか みに袖を しぼりつつ 

末の松山 浪越さじとは 

 

と詠んでいらっしゃいました。

 

えっ?これだと

 

5・5・5・7・7

 

のリズムですよね...

 

先生は、薨去しておりますので

もう、質問会で、伺えません...

 

意味深ですね。

 

それから

失恋した、とある男の気持ちを

代筆した...

と解説されていました。

 

そのことが

 

【とは】何で...フラれたのだろう?!

 

に全て、集約されている

そうです。