前回のブログの続きです。

 

8月のお話です。

それでも、よろしければ...

 

海雲寺を後にし、向かったのは

当時、品川宿で

有名だった「相模屋さん」の跡地です。

 

2022.3.17【土蔵相模】の

ブログで、触れましたね。

 

 

マンションの場所に

相模屋さんがありました。

 

目にした時、やっと来られた!

という想いがしました...

 

ありがとうございました💚

 

 

東海道は海沿いだったのですね...

 

相模屋さんの目の前にある

砂嘴(キシ)...に

洲崎弁天が鎮座していますね。

 

なるべく早めに、お伺いします...

 

御衣黄は、電車で

青物横丁から、北品川に移動し

歩いて相模屋さんに伺いました...


本来なら、青物横丁から歩くのだと思います...

 

この日は、暑くて...怠惰心が出ました...

 

でも、だんだん、

荏原神社様が気になり出し

このまま東海道を歩いて参拝しました。

 

気付く方は気付くと思いますが...

無駄な動きをしているよね〜。

 

青物横丁→新馬場→北品川→品川の順番なのよ。

 

美味しい昼食を摂って

自宅に戻ろう...としたけれど

そうは、いかなかった...

 

こちらは、荏原神社様に伺う途中(東海道)で

立ち寄った、品川宿交流館の展示物...

 

つづく

 

お読みいただいた方、ありがとうございます✨

 

相模屋さんが、土蔵相模と呼ばれたのは

外壁が土蔵のような海鼠壁だったからです...

 

因みに、こちらは岩村城址で拝見しました。

 

品川宿は、岡場所の一つでした...

 

そこで、詠まれた川柳を一句紹介します。

 

品川の客ににんべんのあるとなし

 

(にんべん有)と寺(にんべん無)

を表している様です。

 

増上寺の僧と、三田に藩邸のあった薩摩藩士が

客の大半だったと云われています。