前回のブログ(雄略天皇の兄の恋 と 万葉集 ⑯)の続きです。
同ブログで
允恭天皇の段に記載されている
歌を紹介しました。
近親●●(同母同父)をし
伊予の湯(現・道後温泉)へ流された
軽太子に対して、軽太郎女が宛てた
歌です...
同歌は、万葉集85と90(類似作品)にも
掲載されています。
御衣黄は、前回の記載の通り
近親●●では、なかった様な気がします。
異母同父の関係だったのかな?!
万葉集(岩波書店参照)に
同歌の補足文があります。
御衣黄なりに、口語でまとめます...
*勿論、意訳もしています。
気になる方は、万葉集を確認してください。
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85は、古事記
90は、類聚歌林
に、納められている。
記述も、歌の作者も異なる。
それ故、日本書紀を参照した。
大鷯鷦天皇22年の春正月、
天皇は、磐姫皇后に
「八多(ヤタノ)皇女を側室に迎えたい」
と仰った。
皇后は、そのお気持ちを
受け入れられなかった。
大鷯鷦天皇30年の秋9月11日、
皇后は紀伊の国に旅行した。
熊野岬で、御綱葉(カクレミノの意)を
採取する為だ。
天皇は、皇后がいないことを良い事に
八田皇女を娶った。
皇后は、この件を難波の港で知った。
只々、その女を恨んだ...
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允恭天皇23年の春3月7日、
木梨軽皇子が太子に即位した。
太子は、容姿佳麗であった。
また、同母妹の軽太娘も同様であった。
二人は、密通し、寂しさを埋め合った。
允恭天皇24年の夏6月、
天皇の熱い吸い物の汁が凍った。
不思議に思い、その理由を占わせた。
卜者は、近親●●をしている者が身内にいる。
そこで、太娘皇女を伊予に配流した。
今、改めて調べると
日本書紀の仁徳天皇・允恭天皇の段に
同歌は見当たらなかった。
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うっうん?
古事記に於いて
配流されたのは、軽太子でしたよね?
何だか、おかしい…
・・・。
皇后は、御綱葉(カクレミノの意)を採取…
カクレミノの葉形は
成長に伴って変わるのが大きな特徴。
カクレミノ...隠蓑...
先生!
何か秘密が隠されているのでしょうか。
お読みいただいた方、ありがとうございます✨
因みに
・古事記は712年
・万葉集は8世紀頃
と云われています。
後から、万葉集が、編纂されたのですよね。
古事記が100%正しいとは、言えない
と、万葉集が語り掛けている...
のカモしれません。
先代旧事本紀、各風土記等々...
多くの書物を拝読し
検討する必要性がある...
のでしょうね。
気が遠くなりますね...
・・・。
それに、2018.8の時点で
古代出雲王国の存在は、知っていました。
それだけで、十分じゃん/ボソッ。
・・・💧💢
*カバーの写真は
「庭木図鑑植木ペディア」さんより
お借りしております。
ありがとうございます💚