前回のブログ
(2022.5.24 若日下部の命の、雄略天皇へのキモチ ⑪)で
木梨の軽の太子(允恭天皇崩御後の次の皇位継承者)と
安康天皇の近親●●について、触れました。
古事記に記載されている箇所を
御衣黄なりに、まとめます。
詳細が気になる方は
古事記で確認してください!
新潮社・古事記(P227〜P234)参照
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木梨の軽の太子は、允恭天皇崩御後の
次の皇位継承者に決まっていた。
しかし、中々、即位されなかった...
安康天皇との権力闘争があったのでしょうか...
そんな時、カレは
大好きな軽大郎女(同母同父)に
恋の歌を贈っていた。
この密通が、世間にバレ
カレの多くの臣下は、見限り
安康天皇側についた。
為す術がなくなった、カレは
武内宿禰(物部大前宿禰と表記)に、助けを求め
自宅に転がり込んだ。
暫くした後、
武内宿禰は、情勢を鑑み、
カレを捕らえ、安康天皇に引き渡した。
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つまり、裏切りですよね...
・・・。
この武内宿禰の二度の欺き(允恭天皇、安康天皇の段)に、
何か?秘密が隠されている
のでしょうね...(^-^;
酷い、悪い男...で読み終われば
古事記編纂者の思うツボなのでしょうね。
先生!今更ですが...
質問したかったです。
但、「武内宿禰一族は、基本、腹黒いですから...」
と動画で、仰っていたので...
今後、有力証拠が色々と
出土されるカモしれませんね。
現代の武内宿禰も
そう、なのでしょうから...
・・・。
口が過ぎるわよ。おばさん...
お読みいただいた方、ありがとうございます✨
安康天皇に、捕らわれた時の
木梨の軽の太子の唄が
引っ掛かります...
古事記・新潮社(P229〜P230)参照
以下、主観が入っていますので
詳細が気になる方は、古事記で調べてくださいね。
天(あま)だむ 軽(かる)の嬢子(おとめ)
いた泣かば 人知りぬべし
波佐の山の 鳩の 下泣きに泣く
天だむ 軽嬢子
したたにも 寄り寝て通れ
軽嬢子ども
軽大郎女...個人に宛てた唄ではなく
軽部に属する女性達(カレを見限った臣下の妻?)
に向けた唄の様に思えるのですよね。
波佐の山…
島根県浜田市の常磐山に鎮座する
波佐八幡宮と、関係あるのでしょうか…
それから、当時
「妹」には、「愛する貴女」という
意味もあります。
異母だったのかしら?冤罪?
皆様も...
お噂には、お気をつけくださいませ。
うっかりして
折角のチャンスを失うコトのなき様に...