前回に続き
古事記(下つ巻・雄略天皇の段)に於いて
御衣黄が気になった箇所を
まとめています。
*意訳もしておりますので
ご容赦くださいませ。
気になる方は
古事記を確認してください。
*古事記P245〜P246参照
雄略天皇が吉野離宮に
行幸されていた時、
容姿端麗な若い女に
吉野川で会いました。
その場で、遊女(川→水→水商売?)
と交合をし
雄略天皇は長谷朝倉宮に
戻られた。
その後、再び、
吉野離宮に行幸した際
(偶然にも)その女と会います。
同場所に
大御呉床(足着きの高い座=椅子様?)を用意し
琴を弾き、女に舞を舞わせました。
(その舞を気に入った)
雄略天皇は歌を詠みます。
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呉床座(あぐらゐ)の 神の御手(みて)もち 弾く琴に
儛(まひ)する女(をみな)常世にもがも
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(足着きの高い座で)
あぐらをかき、神と繋がる私の手で弾く琴に
あわせて舞う女よ...
その美しい姿が永遠であってほしい
また、この後...
雄略天皇は
吉野離宮の対岸に位置する
御園に、行幸し、狩を楽しまれています。
その時も、雄略天皇は
(足着きの高い座で)あぐらをかいています。
まぁ〜、この様に
雄略天皇が呉床(古事記では、アグラと読ませている)で
あぐらをかいていた...
と、記載されています。
アグラという声符で
先生のブログ(2016.7.22)を
思い出しましたので
御衣黄なりにまとめます。
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古神道の行法の一つに
天御柱之行法がある。
それは...
「胡坐から、一挙動で立つこと」
である
正座は江戸時代以降の作法。
古くても室町後期からである。
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胡座は、決して、無作法ではないのですよ。
古来より続く日本文化なのですね...
・・・。
御衣黄は、先生がアップされた時に
このブログを拝読していました。
実は、この内容が
自身の先祖の秘密を知る
手がかりになりました...
但、まだまだ
謎が残っています...
その話は、また、いつか...
お読みいただいた方、ありがとうございます✨