お久しぶりです...
何故か?
ブログを記載しようとすると
氣が散ってしまい
書けなくなっていました。
以前のブログ(佃のすみよっさん)で
鰹塚・鰹木について、触れました。
古事記に、鰹木(古事記での表記:堅魚)について
記載された段(雄略天皇)が
あるとの情報を得、読みました。
御衣黄なりに、まとめます...
*意訳している箇所もありますので
ご容赦くださいませ(^^;
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大泊瀬幼武尊(雄略天皇)が
日下(現:大阪府大阪市日下町付近)におられる
若日下部の命に逢う為
近道をしていた時のコト...
一説によると...
その難波への近道とは
「生駒山の暗峠越え」の様です。
生駒山...
重要な地だったのですね...
なるほど...
・・・。
その道中で
雄略天皇は堅魚を上げて
舎屋を作っている
志幾の大県主の家を見、
不満に感じた。
なぜならば
堅魚木は、社殿や宮殿に
使用するモノだからだ...
雄略天皇は
侍従に、その家を焼かせようとした。
志幾の大県主は察知し、
天皇へ御賜物を献上、謝罪した。
その御賜物は、珍しい白い犬であった。
そして、自身の一族の腰佩(こしわき)
に犬の綱を取らせ
カレも一緒に献上した。
雄略天皇は、すぐ、若日下部の命に逢い
その犬を結納の品とし
2人は目出度く、結ばれた。
白い犬…隠喩でしょうか…
・・・。
つづく
お読みいただいた方、ありがとうございます✨