牟礼(三鷹市の町名)の牟が気になったと記載した。
字通によると...
牟は、牛に鼻輪(鼻箝)を加えている形
つまり、ムが金属の輪を表しているのでしょうね...
ふと、2019年8月に訪れた、日牟禮八幡宮を想い出した。
こちらもムレと読むのですよ~。
気になってきたので、辞書および、
同社のHP(詳細に記載されていて、勉強になりました。感謝♪)で
調べるコトにしました。
まず、同社のHP(一部抜粋)によると...
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成務天皇の御代、武内宿禰が地主神(大嶋大神)を祀られた。
それが、同社の始まりのようです...
大嶋大神が気になり調べましたが
何も手掛かりが掴めませんでした(^-^;
あっ、狼?
・・・。
応神天皇が近江に行幸され、
還幸の際、宇津野々辺(現在の神社近く)に
御座所を設けて休憩されました。
同仮屋跡で、日輪(太陽)の形を
二つ見るという奇瑞があった為、
祠を建て、日群之社八幡宮と名付けた様です。
持統天皇の御代、
藤原不比等が同社を参拝し、歌を詠んでいます。
この和歌にちなみ、社の名称が
「比牟礼社」と改められたコトも伝わっています。
また、日牟禮社の社名は、
和珥氏(日觸使主)の「日觸」が転じたという説もあります。
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上記と角川日本地理地名辞典を合わせて
御衣黄なりにまとめると...
・日群→日牟礼→比牟礼→日牟禮
と変化してきたのでしょうね...
時の権力者の意向に左右される神社ですね...
・・・。おばはん...各地から、苦情がくるわよ。
まぁ~いづれにしても...
牟礼とは
山を指し、また、朝鮮語にも通じ、山や小高い所をいう。
(日本国語大辞典参照)
先祖のルーツの一つとして、
朝鮮半島、中国大陸にもあるのでしょうね...
お互い、和の方向へ持っていくコトに
早く気付かないと、
霊的な面で、ヤバイことなる様な気がします。
傷つけ合いより、感謝ですよ!
それも、信じていればの話...ですけれどね。
お読みいただいた方、ありがとうございます✨