昨日、親族へお願いをして、時間をいただき
大山に登拝することができた。
何故?そこまでしたのか?というと...
それは、9月上旬頃、小動神社に参拝する際に
利用した江ノ電・藤沢駅のホームで
こちらを拝見したからだ。
いつも御衣黄のブログを読んでくださる方は
解ってくださると思いますが
小動神社で、龍雲さんに逢ったのです。

とても神秘的な体験でした...
なので、この日、目にしたことは忘れないように
心掛けていました...

大山の最寄り駅である伊勢原駅の改札口で
こちらを拝見しました。
ここで、大山こまの歴史について少々...
(こま参道にお店を構える金子屋さんの公式HPを一部抜粋)
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大山コマの挽物技術は、
文徳天皇の第一皇子である推喬親王(ろくろの挽物技術の先駆者)の
伝統的手法を受け継いでいると云われている。
推喬親王を木地師の祖とする木地屋社会では
一定の地に留まらず良材を求めて
山から山へと移住することが
親王の遺訓に従う事であるとされた。
中世以後、木地師達は、職の特権を認めた
木地師通行手形と文書を携えて
木地山集落を構成し生活していた。
大山の木地師達は この流れを汲むものと伝えられ
推喬親王を奉る筒井神社(現・滋賀県東近江市)に参拝し、お札を授かり奉っている。
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因みに、推喬親王のお母様は紀名虎女だそうです。
(Youtube チャンネルむっちゃん・天皇篇 第56代清和天皇参照)
紀名虎は伴善男と相撲をし、殺されたと解説されていますね。
紀名虎は、紀氏(武内宿禰の一族)の関係者なのでしょうか?!
その様に推察すると...
「古事記の宇宙」の著者様(故人)は
一族内で微妙な立場でいらっしゃったのですね...
それなのに、あれだけ表に出られて
本当にスゴイ方だったのだなと
今更ながら、感じています。
紀氏をネットで調べていたら、何故か?藤森神社に辿り着きました。
菖蒲の節句・発祥の地だそうですよ。
同氏が深草山に雷神を祀ったのが、始まりです。
(京都府伏見区役所HP参照)
こちらに関係のある、お祭りを1つ、簡単に紹介します。
(複数のネットのページ参照)
同社の5月5日の神幸祭で、
御神輿の担ぎ手が伏見稲荷大社の前を通る時
「土地を返せ!」と言うそうです。
昔々、お稲荷さん【狐さん】(部族の比喩カモしれません...)が
藤森神社に、祠を祀る土地を貸してくださいとお願いしました。
同社は快く受けました。
その心に乗じて、お稲荷さんは稲荷山を丸々使用。
つまり、伏見稲荷大社は、藤森神社の土地を借りたまま
現在に至っているコトになりますね...
登記は正しくされているでしょうが、目に視えないレベルで、まぁ~、色々ありますよね。
・・・。
秦氏と波多氏の声符が一緒でも
同族ではないコトは、何となく分かりました。
月の満ち欠けでも分かるように
月にはざまざまな表現があるからでしょうか?!
例) 新月、満月等々...
お読みいただいた方、ありがとうございます✨