前回の続きです。
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中納言行平は賢く、真面目なヒトでした。
その証に、奨学院(現在の大学)を創設しています。
非の打ち所がなかったようですね。
単に、流罪となった弟の御付きとして、
東下りに同行しただけでした。
流罪先で、歌を詠むことを楽しみにしていた
弟(在原業平朝臣)を羨ましく思ったのが理由です。
つまり、咎められるようなことは、何もしていないのです。
二人とも富士山を見て、歌を詠んでいるそうですよ。
チャンネルむっちゃん【YouTube番組・無料でした。】
・百人一首篇(在原行平、在原業平)
・今日使える日本史(2018.5.28)
を拝聴し、
御衣黄なりにまとめました。
あしからず。
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代り映えのしない京都生活から抜け出し
見聞を広めたかった(=旅行したかった)のでしょうか。
只、コロ●禍に遭ってから
日常(普段)の大切さ、ありがたさを
感じさせられていることも事実です。
古来からの考えにある
ケとハレ(日常と非日常)のバランスを
保つことは大切ですね。
お読みいただいた方、ありがとうございます✨