元々は、上巳の節句と言われていました。
禊祓を行っていた様ですね。
江戸時代位から、今の様な形態(雛人形を飾る)
になり、桃の節句、雛祭りと呼ばれるようになりました。
じゃーん!
ちらし寿司を作りましたよ。
白色のご飯、緑色の胡瓜、ピンク色の鮪。で菱餅カラー。
縁起の良い食材も入れましたよ。
しかも、今年はハマグリのお吸い物も作りました。
(写真に撮り忘れた。)
二枚貝(貝殻が1対)の為、良縁を祈る意があります。
それから、旬の菜の花のおひたしは、
親族に不人気なので、春菊にしましたよ。
見てください!シビですよ♪
・・・。おばはん!メジでしょ。
見栄を張りすぎ!写真でバレバレよ。
ううう。大間ではなくたって、メジ(小さい鮪の意)でも
十分美味しかったですよ。
お読みいただいた方、ありがとうございます✨
つづく
あっ、シビ、、、。
平群志毘(鮪)を想いました。武内宿禰ですね(笑)
平群真取(鳥)の息子、平群志毘(鮪)について
古事記で記載されていることを少々。
平群志毘(鮪)は、袁祁の命(後の顕宗天皇)と
大魚(菟田の首等の娘で、美女)を奪い合いました。
最後、平群志毘(鮪)は、意祁の命(後の仁賢天皇)
の策略により、殺されたのでした。
しか~し!
チャンネルむっちゃん!・天皇編(第22代清寧天皇)によると
平群志毘(鮪)は、生き延びたという伝説があるそうですよ。
(同チャンネルは、無料でした。)
身代わりがいたのでしょうね。
それから、
・意祁の命(後の仁賢天皇)→億計王
・袁祁の命(後の顕宗天皇)→弘計王
と漢字表記も違っていました。
(きっと、別の書物に記載されているのでしょうね。
御衣黄は古事記を読むので、精一杯です笑)
また、上記の平群両氏の埋葬場所も
暴露されていましたよ(笑)
ご興味があれば、
同チャンネルを拝聴して確認してくださいね。