上記の本を読んでいると、私の好きな女神様(神功皇后)を御神体とする、鉾(船鉾・大船鉾)と山(占出山)三つもある事を知り、大変驚いた。

そして、武内宿禰が同乗していない事に違和感を抱いた。

 

確かに、お二人が愛し合っていたことは、周知の事実でない。(七十三世武<竹>内宿禰様による、チャンネルむっちゃん<2018.12.30付>、天皇の秘儀と秘史<P155~P158>と縁が繋がり信じた方、神道関係者は別ですが、、、。)
 
でも、広く誰でも読むことのできる、古事記にも、神功皇后と武内宿禰は、船で新羅に渡った!と記載されていますよ。
なのに、何故、御神体となる、武内宿禰の人形が乗船していないのだろう。
 
・・・。
 
二人が、目に余る程が良くて、羨ましくて、しいと思っている、方の関係者が、京の都を、ラブラブエネルギーに包ませるのを快く思っていなかったのでしょうか。
 
そうやって、すぐ感情的になるのだから・・・。少し、冷静さになりなさ~い。 
 

・・・はい。乗船していた、男神について調べます。

 
つづく
 

大船鉾(祇園祭・P151)
お読みいただいた方、ありがとうございます✨ 
 

船鉾(P106)
 
恐らく、神功皇后は、武内宿禰(双子で、付け髭をしながら入れ替わっていた、波留・波智<知>古事記の邪馬台国P155・天皇の秘儀と秘史P153参照を、お輿入れされる前から、事情も含めて、ご存知だったような、気がします、、、幼馴染?!
 
同女神は、直感力に長けていた様ですよ。
その場の感情に流されることなく、一緒になるべき(魂を磨き合える)殿を見極められていたのカモしれません。