4月15日に、柳森神社・下谷神社に参拝しました。
元々は、同社ともに、稲荷神社でした。
しかし、柳森神社には、おタヌキ様も祀られています。
まさにこれですよね。

*ダメ!と思いながらも、意志が弱いので、ついつい食べてしまいます(汗)

 

この時、狐様と狸様に関する、閃きが沢山降りてきたのですが、中々文章に起こすことができず、今日に至っております。
先日、根津神社参拝後、4年目にして立ち寄ることのできたお店。
この看板を見た瞬間、これ以上、後回しにしていると、ヤバイなぁ~と思い、PCに向かっております。
これまでのパターンを考えると、先に人参をいただいているのですよね~。
(神様の世界に、報告書を提出する仕事なんて、あるのですかね?
それから、私の報告書が誰かのお役に立てているのか?不明なのですが、、、。ボソボソ)
 
話を戻しまして、柳森神社の境内にある、おタヌキ様の御由緒を、私なりにまとめました。
京都堀川の八百屋の娘であった桂昌院様は、春日局に見込まれて、三代将軍・家光公の側室となり、五代将軍・綱吉公のご生母となります。このことから、大奥の御女中衆は、他を抜いて(たぬき)玉の輿に乗った、院の幸運にあやかりたい!と崇拝したそうです。

 

側室ね~。私は嫌ですけれどね。身体だけではなく、精神も癒されたい、、、。(ここは、「キリスト教的考え」に汚染されていますね。

只、上記の文章を読んでいると、カネと権力のない、男とは幸せになれません!の前提感が漂っていますね。それには、賛成できないかな?(幸せか、どうか?を決めるのは自分自身ですよ。)

それから、もう二見玉神社の漢字表記を間違えませんからね~。

 

・・・(笑)


閃きは、まだ続きます。

 

お読みいただいた方、ありがとうございます✨

 

柳森神社から、下谷神社に移動する途中(秋葉原の駅構内)で拝見した、ポスター。

神様はいらっしゃる!と思わされましたよ。

あの女性、有吉さんに見えませんもの。


この時、記載したメモによると、

見た目はいくらでも繕える。

でも、所作はできない。それは、そのヒトの生き様だから、、、。

出逢いの機会は、一度きり。

続くか、続かないかは、自分自身に掛かっている!のだ。

 

ご縁がない!と言われれば、それまでですが、歩み寄る努力も大切ですよね。