先日、とある、お勉強会に、参加しました。
テーマはあるのですが、この時は、多岐に渡って、お話をしてくださいました。(毎回、毎回、その場の雰囲気<集まったメンバー>に合わせているらしく、お話の内容が変わるそうです。)
その中で、印象に残っているのは、
「物質と精神面の両方のバランスを取ることが、スピリチュアリティな生き方をしている!と言えるのだよ。なぜなら、霊的なものが肉体に宿っている(入魂している)のだから。」
と仰られたことです。
どちらか、一方だけだったら、今、ここには存在できませんよね。
そして、あの会を振り返ると、何気なくその場、その場で、メンバーの話していたコトが、偶然にも、まとまっている(結び付いている)のですよね~。
具体的に書くと
「閃いた、音楽、それに付随する歌詩(詞)も、メッセージなのではないか?」という、話題になりました。
その時、ある方が「作詩(詞)者が意図(誘導)していることもあるから、そこから得るのはどうなのでしょうね?」と仰りました。
このブログを読んでくださっている方は、ご存知だと思いますが、私は歌詩から、閃きをバリバリいただいています。なので、「???」と思い、意見をし、最終的に、講師の方が収拾してくださいました(笑)
愛ある、衝突です(笑)
その過程で、ある方が「聖飢魔Ⅱ」が好きで、ストレス解消に聞いています!と胸の内を明かしてくださいました。
えっ?デーモン!きてるわ~。何日か前に、ブログで記載したよ。と、心中で思いました!(私は、ドクターXというドラマの絡みで、記載したのですけれどね。)
自宅に帰り、聖飢魔Ⅱ□スペース売れた曲でネット検索。
どうやら、「蝋人形の館」の売上が断トツのようです。(信者の皆さん、間違っていましたら、すみません。因みに、御衣黄は、信者にならないし、黒ミサにも行きませんので。ただの、偶然が大好きなおばさんです。)
蝋人形を日本国語大辞典で引くと、蜜蝋や、獣蝋で作った人形の総称。特に、展示公開を目的とする、等身大で、彩色などを施した、精巧なものを指すことが多い。だそうです。
リアルさが、重要なのですね。
ヒトは、肉体の中に、魂を入れて(入魂して)、「今、ここ」に存在している。
だからこそ、誰かを好きになってドキドキしたり、明日のイベントを目前にしてワクワクしたり、上手くできなくてメソメソ泣いたり等々、そんな喜怒哀楽を一つ、また一つ、経験(体験)する為に、生きているし、生きてきたのだなと、思えました。(当事者は、辛いこともあるのですけれどね。でも、そう、思えば、ラクになるカモ?)
だって~、デーモン閣下!
私達は、魂の抜けた、蝋人形じゃない!
自己責任で、人生を選択できるのですから、、、。
お読みいただいた方、ありがとうございます✨
それから、こんなご助言を参加者さんにしてくださいました。
「愛」と考えた時、とかく、「男女間の恋愛」を考えがちだけれども、もっと大きくて、広い意味として、捉えられたら、良いね!と仰っていました。
人類愛と言っても良いのでしょうか。
勿論、蝋人形の館を拝聴しましたよ。
デーモン閣下の声が、見た目に反して、透き通っていたのが、意外でした。