2019.3.6のブログのリンク先が
切れていた為、一部改訂します。
また、改定後の2022.4.7のブログの推察部分を
一部、変更します。
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眠気眼で、柿ピーを食べていた...
なので、思わず...
こちらを捨てそうになってしまいましたよ(^^;
御衣黄は、「こばなしのたね」を楽しみにしている。
学びがたくさんあるのですよ...
ふむふむ...
イルカもクジラだったのですね..
海の豚…って、書くのですよね。
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月+豕(いのこ…イノシシ)
物部一族(月信仰?!)は、海上ルートで
大和(日本)に辿り着いたのですかね。
・・・。
イルカ(古事記の表記;入鹿)繋がりで
ふと...
古事記の中つ巻に記載されている...
「気比神宮の神と太子(後の応神天皇)」
の話を思い出しましたよ...
御衣黄なりに、まとめます...
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仲哀天皇が崩御された後
神功皇后は、嫡子(後の応神天皇)を生んだ。
我々に、反逆心を抱いている者が
いるのではないかと警戒した。
そして、喪船を用意し
御子は既に薨去した...と触れ回った。
仲哀天皇の側室・大中津比売の御子である
「香坂の王、忍熊の王」は
神功皇后殺しを企てていた。
そして、その吉兆を占う為、うけい狩りをした。
結果は、凶であった。
なぜならば、兄・香坂の王が
大きな猪に食われたからだ。
しかし、忍熊の王は、その占いを信じず
その空船(喪船の為)を攻めにいった。
神功皇后は、同船から、兵士を下ろし、戦わせる。
つまり、だまし討ちですよね...
嘘も方便ですか...スゴイ女だわ...
余計な一言よ!おばさん💢
結局、太子側に追い詰められた、
忍熊の王と将軍・伊佐比の宿禰は
琵琶湖に身を投げ、亡くなった。
建内の宿禰は、応神天皇の禊をするため
越前国の角鹿に仮宮を造った...
その夜、武内宿禰の夢の中に
気比神宮の神が現れ
自身の名を差し上げ
御子の御名に代えたい..
と持ち掛けた。
武内宿禰は、ご神託に従った。
気比神宮の神は
名を変えくれた御礼として、
翌朝、鼻が傷ついた入鹿魚(イルカ)を
浦一面にくださった。
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つまり、気比神宮の神(イザサワケ)は
「ホンダワケ」という名前も持っていた
コトになりますよね...
お読みいただいた方、ありがとうございます✨
イザサ・ワケ...
因みに、イザサは
琵琶湖固有のハゼを指します。
応神天皇は
武内宿禰の子供なのでしょうね...