前回の続きです。

 

東京都立中央図書館で、拝読した資料は、渡鹿野郷土誌です。

 

かつて、神領であったと裏付ける内容を、私なりにまとめました。(ご興味があれば、渡鹿野郷土誌を読んでみてください!)

 

同誌によると、豊臣秀吉の時代に、伊雑宮の神官が、オノコロ島五社太神記録書写し、まとめているようです。

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十八代目、反正天皇の時代。

悪疫、悪天候が立て続けに起こった。

当時の陰陽師は、オノコロ島の五社太神様を蔑ろにしたことであると、結論付けた。

そこで、反正天皇は、詔を賜り、勅使に、平群木菟の臣を、オノコロ島に遣わすことにした。

しかし、オノコロ島の所在を知る者は誰一人としていなかった。再度、重臣が会議を開き、検定した。

その結果、伊勢の皇太神宮の別宮(伊雑宮)の伴社の一つである、的矢湾に浮かぶ、渡鹿の浦であることが分かった。

参拝を済ますと、悪天候、悪疫は、治まり、平穏な都となり、以来、五社太神への参拝が年中行事となった。

(P381~P383参照)

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とても、神聖な島じゃないですか。はっきり言って、大阪のやーさんが移り住むような島ではない(同じ人間なのに、差別的な発言ですみません。)ですよ!

あ゛っ~あ~、また、例のミミズク!

 

いちいち、リアクションが大きくて、うるさいわよ!その場合は、ツクと読むのよ。

 

日本書紀によれば、武内宿禰の妻の出産中に、鷦鷯が、応神天皇の妻の出産中に、木菟が、それぞれ産殿に、飛び込んできた。同日に生まれてきたことを祝し、後の世の契りとして、子供の名前をトリかえた。

つまり、仁徳天皇の名前が変わっているのだ。(本気で、調査したら、ヤバイものが出土されそうです。見つかっても、廃棄処分しないでくださいよ!)

(ネット上で、複数の書き下し文を拝読させていただきました。ありがとうございます❤️気になった方は、調べてください!) 

学研生物図鑑(P)によると、最小形種に属し、繁殖は、コケむす岩の暗い林。だそうです。

 

お読みいただいた方、ありがとうございます✨

 

話は変わりますが、反正って、、、。レ点を入れて、正しいのは反対側。それとも、反対正しい。の略なのじゃないですか。成務天皇の件(双子)かしら?自然分娩(この時代、帝王切開の技術はなかったと考えられる。)の場合、長男の判定が難しいと聞いたことがあります。

それから、チャンネルむっちゃん(反正天皇について)を拝聴しましたが、歯医者と貝のお話が中心でしたね。こそこそ、答え合わせ中。

 

おばさん!その怪し~い、独自の見解に、巻き込まないでください!

 

段々、スピリチュアル関係者の皆様が仰るように、仁徳天皇陵がマナの壺に見えてきましたよ。(ボールペンを魔法の杖の様に、クルクルしながら)

 

蜻蛉ではありません!そもそも、ワタシは女性です!

 

ふざけすぎて、とてもハンゼイしています。

 

・・・。未成年も読んでいるカモしれないと、ご忠告いただいているわよ。