往復三時間半の登山で、心に引っかかていたコトが、一つあった。
それは、鈴を持っていなかったコトだ。
鈴を持つ理由は、単なる熊避けの為だけではなく、見ず知らずの登山者同士が、生存を確認し合う意味もあるのではないか?と感じたからだ。
今回、ひとりで登山?登拝?をし、心細かったのです。でも、鈴の音が聴こえる度に、安堵していました。皆さん、山の神様が好みそうな、美しい音色の鈴を響かせていました。
中には、お下品な音がする、ベル?を鳴らしていた方もいらっしゃいましたが、、、。(あれはさすがに、ウルサイ!という対象なのでしょうけれど、、、。)
それなのに、ワタシは持っていなかった。自分勝手だな、と感じました。
(そして、自分さえ助かればそれで良いのか?と、ある方に言われたことを思い出しました。)
また、コースアウトも経験しました。
登山者さんがいなかったら、そのことすら、分からない状態でした。多分、あのまま歩いていたら、ケガをしていたと思います。(山登り、初心者です笑)
誰かに支えて貰っているのだ!人生も一緒だ、感謝だね!と思えた、妙法ヶ岳登山?登拝?プロから見れば、無謀なのでしょうね。でも、ワタシには必要な経験だったのです。
お読みいただいた方、ありがとうございます✨
最後に、何かのご参考になれば!と思い、家族からの一言を記載します。
あんたが山で遭難して、救助用のヘリコプターを出したら、いくら掛かると思っているの!こっちが破産するわよ!良い迷惑よ!
自己責任だと思っているのなら、それなりのコト(恐らく、遺書を机上に置く)をしてから、入山しなさい!だそうです。
まぁー、ごもっともな意見だと思います。