akikoさんの素敵なブログから、今回、石見神楽を知る契機をいただきました。ありがとうございます❤️
自身でも調べました。
 
何とも言えない、複雑な気持ちになりました。何千年前の話。当事者でもないのに、とても気持ちが抉られます。
 
和解する気は、あるの?と 閃きました。
 
酒呑童子の話もネットで拝読しました。高志の八部族?(本当は九部族なのですよね。)の1つが近江に、逃げた!のかもしれませんね。
そうすると、和珥(耳が付いているのですね笑)氏が岐(クナト)神と幸神(幸姫?)を信奉していた話(ネットより)も分かる様?な気がします。
 
そもそも、藤原不比等が世界の神話を集めて、自分達の都合の良い様に、切り貼りして、繋げて、記載したと、私には思えてしまう、古事記・日本書紀。
その様な中、ネットで、持論展開されている方々は、とても勉強されているのでしょうね。中には、怪しいヒトもいるのかもしれませんが、、、。
 
蘿(こけ)→蘚(こけ)→薊(あざみ)の発想なのかなぁ?と思いました。(いつもなれなれしくすみません。)
コケから、君が代(こけのむすま~で~♪)のヘブライ語解釈があるコトを、ふと、想い出しました。(これを読まれている方!信じるか、否かは自己責任でお願いします。)
 
先生は、絶対に明かさないと、決めている様ですね。残念です。2013年のブログなのですね。今更、、、クナト(八岐大蛇?九頭竜?鬼?として、封印された?)について、知りたい私。

https://plaza.rakuten.co.jp/takeuchisukune/diary/201309040000/

 

 

お読みいただいた方、ありがとうございます✨

 
 
 

赤かがち→ホオズキというコトで、ほおずき市発祥の地に行ってみます。

ランチをした時、この器に出会いました。

(別の日に、御成門の揚げまんじゅうを、初めて知り合った、壮年の女性からいただいたりと、サインが続いている様な気がします。)