前回の続きです。
他にも興味深いコトがありました。

岩村は、女城主(おつやの方、織田信長の叔母)だったコトです。
きっと、女神(オキナガノタラシヒメ)が私を導いたのでしょうね。(なぜならば、同女神も同じ立場だったから、、、。)

この機会に、調べてみるコトにしました。
平凡社大百科辞典他三冊で、岩村城を引きました。しかし、女城主について、記載されていませんでした。
必ず、書いてあるコトは、日本三大山城の1つ。霧ヶ城と呼ばれる。
伝承だから?不都合なコトがあるのですかね?何故でしょうね。

以下、恵那市観光協会のHPを参照、抜粋

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源頼朝の家臣「加藤景廉」の長男景朝が、岩村城を築き、遠山氏と称したのが始まりです。
ある日(戦国時代末期)、城主の「遠山景任」が病没しました。
養子として迎えていた、織田信長の五男「御坊丸」がまだ幼少であったため、その夫人(織田信長の叔母、おつやの方)が実質的な城主として、領地を治めていました。
おつやの方(おんな城主)は大変聡明で美しく、領民に慕われていたそうです。
 1572 年(元亀 3 年)、武田信玄の 二十四将のひとり、「秋山虎繁(信友)」が侵攻してきました。
おんな城主は自ら采配を振るい、信長の支援を待って籠城作戦に出ました。しかし、この時、信長は長島の一揆などで、援軍を出す所ではありませんでした。
籠城は 3 ヶ月にわたり、城内の食糧も不足して来ました。その折り、秋山虎繁が、女城主を妻とすることを条件に無血開城を申し入れてきました。 
おんな城主は、城兵や領民の命を守るため、敵将との結婚を、苦渋の末に決意し、開城しました。
その後の数年間、おんな城主は秋山虎繁と共に、城の普請や城下町の守備に勤しみ、平和な日々を過ごしました。
しかし、信長は黙っていませんでした💢御坊丸は、信玄のもとに人質として送られてしまった!岩村城も乗っ取られてしまった!と、攻め込むのです。
最後は、この夫婦は、信長からの条件を呑み、開城します。その条件とは、領民を守り、おんな城主と秋山虎繁の命を守るという約束でした。しかし、信長はこれを反故にし、夫妻は磔刑に処されてしまったのでした。
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女神には、相談できる、武内宿禰(宿禰は役職名。今でいう、政策秘書なのかなぁ?と勝手に思っています。なので、本名ではないそうです。)が側にいた様ですが、お直の方は、とても孤独だったと、私は推察します。

敵軍の男。どこかで御目にかかったのでしょうか?そして、お互いに、諦めなければ!と思いながらも、心の中で、想い合っていたのだろうな、と感じました。

女の愛は、重たくて、ウザイ、シツコイ!と言われれるけれど、、、。
時には、男以上に、愛に対して、責任と覚悟を持ち合わせているのだと思います。
逞しいですね。

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