気付けば神無月だ。皮肉にも、昨晩は柄にもなく「神様」などと口にしたばかりだというに。
本当はむかしから私はそうであったのだ。人と違うという特殊性を愛し、平凡を嫌った。幼い頃の馬鹿げた夢として今語っていることは、実は中高生の頃に想いを馳せ無かった訳では無いのだ。
いつも夢見がちで、理想主義で、熱しやすく冷めやすい。
そんなこと、人に言われるまでもなく、わざわざ自身でも認識するまでもなく、私はきっと分かっていた。それはいつか、私の弱みになる。
私は自分でも驚く程に強靭な理性の力でそれを封じる事を試みたのだ。
私は私の感情を直感的に感じることが困難となった引換に、それに振り回されて馬鹿なことをすることなく、物事を有利に、そして簡単に進める手段を手に入れた。
私は、理性的で理知的で、油断や隙のない、強い私の「像」を手に入れた。少なくとも疑いようもなく周りの人々はそう思ってるはずだ。そして人間というものは、人が思っていることを潜在的に感じ取り、自身にも暗示をかけるものだ。
その鎧を、壊されかけると酷く噛みついたのは、それは私自身という大きな代償を払って手に入れた、唯一のかけがえのないものだったから。
いつしか、そんなことも忘れていた。
時々、感情の蓋が吹き飛ぶことがある、それは現実の出来事というよりも、想像の世界が大体トリガーとなる。
ここではない、何処かへ。
こんな場所捨て置いて、都合のいい鎧もかなぐり捨てて、いっそ旅立ってしまおうか。
鎧は所詮鎧でしかなくて、ずっと着続けていれば心はナーバスになり、身体は疲弊するばかりだ。そして壊れていれば、何の役にも立たない重りにしかならない。
でも、もうそんなものしか縋るものが無ければ、脱ぎ捨てることなんてできない。
最近、バリバリと派手に音を立てて、それを剥がされているのを感じる。理性的に思考を回して、生きることが難しくなってしまっている。あれほど強靭だった理性の力は萎えてしまったのだろうか。
夢見がちで理想主義熱しやすく冷めやすい私の居場所は何処にあるというのだろう。