2023年11月10日
時間の関係で、ほんのさわり程度の画像のみです。
湯築城
別名:湯月城
梯郭式平山城
湯築城(ゆづきじょう)は、愛媛県松山市道後公園にあった日本の城。
堀や土塁が現存する。国の史跡に指定されている。
歴史
建武2年前後、伊予国の守護であった河野通盛の代に築城され、
一族本貫の地である風早郡河野郷より移住した。
正平20年/貞治4年正月に、河野通堯は細川方になっていた湯築城を攻め、
細川天竺禅門を打ちとった。
天文4年頃、通直(弾正少弼通直)によって外堀が造られたとされる。
天正9年以後、四国征圧を狙う土佐国の長宗我部元親が伊予国に侵入し、
通直(牛福丸通直)は元親と交戦した。
天正13年、四国征伐を目指す羽柴秀吉の命を受けた小早川隆景らの軍が侵攻して
金子城主の金子元宅を攻撃の末滅ぼし、湯築城の河野氏も約1ヶ月の篭城の後に降伏した。
城に留まっていた通直は命は助けられたが、2年後に病没した。
城は隆景に与えられたが、彼の所領は筑前に移された。
天正15年、福島正則が城主となるが、程なく国分山城に居城を移したため、廃城となった。
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