愛知県安城市三河・石川丈山屋敷 | ラビットのブログ

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2015‎年‎9‎月‎19‎日
愛知県安城市三河・石川丈山屋敷
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丈山苑は、入館料が、いります!
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私は、入館料:金100円と、呈茶/一服:金300円
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呈茶/一服300円 ・・・これは、お得だと、思います!
この日の、お菓子は、福もち?
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石川丈山屋敷
いしかわじょうざんやしき
史跡指定:市指定史跡
別名:和泉石川古屋敷
 形態:居館
歴史
築城年代は定かではない。享禄年間石川信治、正信、信定、信英と続いた。
近世初期の文人石川丈山が天正11年石川信定の嫡男として誕生。
天正18年徳川家康の関東移封に伴い、関東へ移り廃城となっている。
説明
和泉石川古屋敷は現在丈山公園として史跡指定され、庭園が公開されている。
城主:石川氏
石川丈山
石川 丈山(いしかわ じょうざん、天正11年- 寛文12年5月23日は、
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、文人。
もとは武士で大坂の陣後、牢人。
一時、浅野家に仕官するが致仕して京都郊外に隠棲して丈山と号した。
江戸初期における漢詩の代表的人物で、儒学・書道・茶道・庭園設計にも
精通していた。
幕末の『煎茶綺言』には、「煎茶家系譜」の初代に丈山の名が記載されており、
煎茶の祖ともいわれる。
名は初め重之、後に凹、通称は初め三彌、後に嘉右衛門、字は丈山、
号は六六山人、四明山人、凹凸窠、詩仙堂、大拙、烏麟、山木、山村、
藪里、東溪、三足など
愛知県安城市和泉町中本郷(丈山公園)