当時トヨタが生産していた最小のモデルである大衆車パブリカの
エンジンとシャシを流用することを前提に、トヨタの系列会社となっていた
開発には、パブリカ開発時の主査で、後に初代カローラの開発でも
当初は「パブリカ・スポーツ」の名称で開発が進められ、
空気抵抗の抑制が図られた。このためオープンボディながら難易度の
高いモノコック構造を採用し、市販型でも重量は僅か580 kg に
抑えられている。
1965年3月から市販された。東京地区標準販売価格は59.5万円で,
1969年の生産中止までの総生産台数は、3,131台に留まっている。