2016年2月14日
愛知県蒲郡市 三河・上ノ郷城址
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三河・上ノ郷城
みかわ・かみのごうじょう
史跡指定:市指定史跡
別名:宇土城,鵜殿城,神ノ郷城
形態:平山城(52m/15m)
歴史
築城年代は定かではないが鵜殿氏によって築かれた。
鵜殿氏は紀伊国牟婁郡鵜殿発祥で紀伊国鵜殿城にいた。
鵜殿氏がいつ頃三河へきたのかは定かではないが、
南北朝時代には南朝方として戦っている。
鵜殿長善の子のとき長将が上ノ郷城、長存が下ノ郷城に分かれた。
長将の子、鵜殿長持は今川義元の妹を妻に迎えている。
桶狭間合戦の後、周囲の勢力が今川氏から家康へと移るなか、
長持の子鵜殿長照は今川氏方として残った。
永禄5年家康は上ノ郷城を攻め、このとき攻めあぐねた家康は
甲賀忍者を城内に偲ばせ火を放って攻め落としたといわれる。
その後は久松定俊が入城した。
説明
上ノ郷城は赤日子神社の北西にある比高15m程の低丘陵に築かれている。
上ノ郷城は東西に長い山頂部を主郭とし、南下に二郭を置く。
二郭は東西両サイドから土塁が伸び中央部が開口して虎口となる。
城主:上郷鵜殿氏,久松定俊
案内
赤日子神社の西側の駐車場が利用でき、そこから道標が主郭まで通じている。
または、軽四なら登城口まで、行けないことはない!
愛知県蒲郡市神ノ郷町城山