愛知県岡崎市 三河 桑子城跡 | ラビットのブログ

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2016‎年‎4‎月‎23‎日
愛知県岡崎市 三河 桑子城跡
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三河 桑子城
みかわ:くわこじょう
形態:平城
歴史
築城年は定かではない。
阿部因獄正の築城とされる。
安藤薩摩守信平・帯刀父子が入り、安藤氏代々の居城となる。
安藤家重は松平宗家8代広忠仕えたが、
1540年安城合戦で織田信秀軍に討たれて戦死。
その子安藤基能は1572年「三方ヶ原の戦い」で戦死した。基能の
長男安藤直次は幼少期より家康に仕え、1570年「姉川の戦い」
1575年「長篠、設楽原の戦い」1584年「小牧、長久手の戦い」などに参戦し、
家康から弓を拝領する程の活躍であった。
1590年家康関東移封の際、1000石を得た。
1600年「関ヶ原の戦い」では家康の使番を務め、1603年家康将軍宣下に参加、
1605年武蔵国に於いて2300石の所領を与えられた。
1610年徳川頼宣付けの家老に任ぜられ、1614年「大坂の陣」では幼少の
頼宣に代わって参戦し、長男安藤重能を亡くした。
1617年掛川藩主2万8000石となり、1619年徳川頼宣は紀伊藩主になると、
直次の付家老として移り、紀伊国田辺藩主3万8000石となる。
1635年没。
妙源寺は1563~1564年「三河一向一揆」の際、家康軍が難を逃れた寺として
知られ、家康の「源氏」を賜り、明眼寺から妙源寺へ改称している。
説明
家康ゆかりの妙源寺には重要文化財の柳堂、墓所に本多忠豊・忠高、
高木水主、平岩親吉、長坂血槍九郎の墓が在る。
城跡は妙源寺の南西辺りとされ、遺構は無い。
愛知県岡崎市大和町沓市場65