2016年7月3日
愛知県岡崎市 三河 桑谷城跡











三河 桑谷城
みかわ:くわがやじょう
形態:丘城
歴史
時期は不明。
城主に山田藤七郎、松平山城守の名がある。
1600年松平長吉が670石で陣屋を構え、1735年まで存続。
1717年松平幸隆が500石で陣屋を構え、1868年まで存続した。
説明
県道324号線と県道326号線が交差する桑谷町信号を南へ、
行くと桑谷町公民館側が在ります。公民館前の竹林が城跡と云われ、
城跡から南へ400m程に松平宗家8代広忠ゆかりの広忠寺が在ります。
1541年春、広忠と於久の方〔大給松平和泉守乗正の娘〕との間に
家康の異母兄弟「勘六〔後の松平忠政〕」が生まれており、
「於大の方」を正室としてからは勘六を一時岩津へ住まわせ、
後に桑谷村に別荘を造って移住させました。
1561年酒井正親が西尾城を攻める際、
隠れ住む忠政〔勘六〕を家康に引き合わせ、忠政に兵を与えて従軍させました。
1562年家康が西尾へ行く際、桑谷村の父の位牌に拝礼し、
本堂を建立して忠政の弟穎新を住職に広忠寺としたそうです。
現在の城跡は、ソ-ラーパネルが、設置されてしまいました。
愛知県岡崎市桑谷町浜井場
広忠寺:松平広忠公・松平宗家8代忠政公・於久の方の墓
愛知県岡崎市桑谷町堀切29