愛知県新城市 三河 半原陣屋跡 | ラビットのブログ

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愛知県新城市 三河 半原陣屋跡
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三河 半原陣屋
みかわ:はんばらじんや
形態:丘地
別名:半原村古城 半原藩邸
市指定史跡:半原藩邸跡
国重要文化財:望月家住宅
歴史
1590年家康関東移封に伴い、安部信勝は武蔵国榛沢郡、
下野国梁田郡で5200石余を得た。
1636年その子大番頭信盛は三河国八名郡4000石の加増を受け、
更に大坂定番に昇進して、
1649年摂津国内で1万石の加増を受け、岡部藩を立藩した。
その後、信之(2万200石余)信友(2万2200石余)
信峯(弟信方に2000石を譲り、2万200石余)
信賢、信平、信允、信享、信操、信任、信古、信宝と続き、
1868年信発は半原へ移り、半原藩を立藩したが、
1871年廃藩を迎えた。
説明
国道301号線、富岡信号交差点から北上し、寿司屋の寿々喜を入ると、
右手に藩邸跡の歴史看板、石碑が在ります。
半原陣屋跡から北方3キロ程に国重要文化財指定の望月家住宅が在ります。
武田家の家臣であった望月氏は、1575年「長篠、設楽原の戦い」
で敗れて後、帰郷(長野県佐久市望月)せず、代々四郎左衛門を世襲し、
現在地に住んだそうです。現在の建物は、1689年頃建てられ、
江戸時代は薬問屋、明治は木挽きをしていたとも伝えられています。
半原陣屋跡:愛知県新城市富岡字大屋敷
望月家住宅:愛知県新城市黒田字高縄手7