愛知県新城市 三河 中山砦跡 | ラビットのブログ

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2017‎年‎8‎月‎19‎日
愛知県新城市 三河 中山砦跡
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そして、場所移動・・・回り込んでの、撮影 イメージ 19 イメージ 20 イメージ 21 イメージ 22 イメージ 23
河 中山砦
みかわ:なかやまとりで
形態:丘城
歴史
1575年「長篠、設楽ヶ原の戦い」の際、標高110m、比高30mの
丘陵端に五味貞氏・飯尾助友・飯尾祐国・名和田晴継・名和無理之助他
240騎が構えた砦である。
1,572年徳川家康が長篠城攻めの際に築いた砦を流用したものである。
武田勝頼は1万5000の兵を従え、長篠城を包囲。
北から君ヶ伏床砦:和田兵部信業、長竹昌基、反町大膳他300騎、
姥ヶ懐砦:三枝守友、守義、守光・草刈隼人助・宍戸大膳他350騎、
鳶ヶ巣山砦:武田兵庫頭信実250騎・小宮山信近250騎、
中山砦、久間山砦:和気善兵衛・大戸直光・倉賀野秀景、原胤成、
野州浪人組他300騎の5砦に兵を配した。
5月20日勝頼本陣が設楽原へ進出した際、長篠城の押さえとして
5砦はこの地に留まったが、21日夜明け、酒井忠次他4000騎
+鉄砲隊500に背後を突かれ、落城となる。
中山砦へは松平忠次らの一隊が向う。天神山(267m)
「地蔵の本」を過ぎて砦に攻め寄せた。
配下の岡田竹右衛門・中根新八郎・朝比奈五郎左衛門・石川新兵衛
・乾作兵衛・大津権之助らが奮戦して多数の砦の兵を討った。
兵頭蓬之助は飯尾助友を討ち取り、西郷の家臣城所与兵衛は
名和田晴継を討ち取った。五味高重・飯尾祐国・名和宗安らは
脱出して豊川の「長走り」の瀬を渡り、設楽原の武田勝頼本隊と
合流しようとしたが、中途で討死した。
説明
長篠城跡南の牛込橋を東へ渡り、右折して南へ県道69号線を進みます。
牛込橋から200m程進んだスエヒロ産業の裏山と北隣りの山が
中山砦跡になります。
第2東名高速道路で、2つに分断されてしまいました!
見晴台へは、スエヒロ産業の手前に、手書き看板が、ありますので、
指示にしたがつて登って行くと、200段程度の階段がありますので、
登ると、見晴台です。
駐車場は、東名を潜ると左側に在りますが、誰の土地かは?です。
階段下の所でも、十分止めれますが、自己責任でぇ。
また、分断された向かい側は、空き地まで、行って、止めた方が、心です。
・・・ちなみに、こちらの階段数は、100段程度です。

ナビに愛知県新城市乗本字坊具津15と入力すればスエヒロ産業
ですが、ここまで、行けば、砦の入り口も、わかるはずです。
ここ数年で、景色が、ガラリと変わってしまった砦です
愛知県新城市乗本字坊具