時間あるだけはパパは毎日面会に来てくれて、それだけでも救われた気分。
ドリンク買ってきて持ってきてくれる。

談話コーナーでは新生児コーナーから連れ出した赤ちゃんを見て家族で笑ってる。
どうして私にはそれが出来ないんだ…
その度になんだか悲しくなる。


しょーこりもなくほとんど出ない母乳を授乳室にて搾乳する。
…これじゃ、栄養足りないよ…
しかも何故かいつも同じおかあさんと一緒になるんだよな…。
あっちは直接母乳あげてるのに。
これも私には出来ない事。哀しくなる。

これまたマッズい夕食を食べるとやっとやる事がなくなる。
手術直前にコンタクト外してどっか行ってしまったので、仕方なくメガネ生活。
携帯は前途したとおりほとんど見てないけど、iPadでため込んだ漫画を読んで時間つぶし。
しかしメガネの度が合ってないのか細かい字が読みづらい…!
ナースコールでサイレースを出してもらって、まぁ気休めなんだけど寝る、努力をする
。でも流石にこれで朝までぐっすり寝た事はなかったな。
夜中の3時に目が覚めたので授乳室行ったり。
こんな時間だというのに、片づけらていた搾乳機をイヤな顔ひとつせず用意してくれたり。
お産なんて昼も夜もないもんね。
産科の看護師さん、助産師さんにはホント頭が上がらない。お局みたいなおばちゃんはおらず、若い人が多かったな。


それからは毎日の繰り返し。
適当に起きて回診済ませて午後イチでNICU行って、パパの面会のあと、シャワー浴びて(乾かすのが面倒なんだよぉぉ)またNICUに行って(すぐ帰ってきちゃうけど)夕食。時間を見つけてはできるだけ授乳室に行くようにしてたんだけど、また惨めな思いをしたくなくてその足は遠のきつつあったけど。

そしてその数日後、予定通りの私の退院日。
血液検査とかやっても至って健康らしかった。経過は順調。
奇しくもその日はとーちゃんの70歳古希の誕生日であり(それはどーでもいい)、パパの今までの仕事の退職日であった。
…健康保険が使えたのはその日まで…危なかった。
(そもそも出社してないのに給料やボーナス支給されるってある意味すごい)
(保険は任意継続にした)


出生届出した時に娘のマイナンバーも発行された。
私たちの子供が、正式にこの世界に誕生したんだ。
なんかそれってすごい。


結月(ゆづき)


私たちが考えた名前


退院日、11時。なんか知らんけどえっらい荷物が多い…
やる事ないのでさっさと着替えて支度した。流石にメイクまではしないけど。

そしたら医事課の担当者が請求書持ってきてくれた。
出産一時金(42万円だったっけ)で全て賄えたので、お支払いは結構です、との事。
うそーーーん。緊急帝王切開だったのに?
当初、以前通っていてそこで産むはずだったクリニックは、通常分娩でも出産一次金から足出るとの事だったのに…
後から聞いたのだが実際に今回の入院、手術諸々を差し引いても余ったので、パパの指定口座に返金されたそうな。
さすがは総合病院。安っ。

まぁ、ベッドは固いし、食事はマズいし、環境は最悪だったけどさ。

***

11時に実母とパパが迎えに来てくれて荷物運ぶのを手伝ってくれた。
そしてその足でパパと二人でNICUの小さな会議室。担当医の先生と看護師さんとの話し合い。
足が震えるくらいドキドキしたよ。

先生がおっしゃるのはやっぱり「脳室拡大」。
それに「頭蓋骨変形」「四肢のピクつき」「哺乳不良」…
…もう、こんなに受け止められないよ…
ただ、この状態が成長してどんな状態になるのかは、やっぱり大きくなってみないとわからない、という。
先生は先日撮ったというMRIの画像2枚を比較せいてくれたけど、若干問題個所が小さくなってる…気もしないでもない。

でももちろん、この状態で退院なんてできるわけがない。
しばらくはここのNICUのお世話になるだろう。

…いつまで…?


怖くて聞けなかった。


…いつか、一緒に帰れる日が来るの?


先生は「最悪、経験栄養(鼻のチューブ)つけたまま退院する」という方法もあるという。

最後にもう一回娘に会う。
これで1日1回しか会えなくなるけど、毎日会いに来るからね。