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木こりのよもやま話

ギター作ったりしながら、のんびり生きてます。

久々の更新となってしまいました。

木について思うことをひとつ。


先だって、伊勢神宮に参拝しました。








有り難いことに毎年参拝させて頂いていますが、
何時行っても荘厳で厳粛な気持ちにさせられます。

広い神域を歩いている間は非日常的な澄み切った時間でした。

内宮の参拝も終え、宇治橋を渡って出ようとすると、
大きな鳥居の材木に、幾つかの節があるのに気がつきました。





鳥居も20年に一度の式年遷宮の際に造り替えられるわけですが、
思い違いでなければ、以前までは節の無い、きれいな材で造られていたように思いました。
こんな風にいくつも目立つ節のある鳥居を見たのは初めてです。


資源的に乏しくなってきている大木。
大きな鳥居を造るための木も、だんだん減ってきているのでしょう。
節の無い(少ない)、木目も通った、見た目に美しいとされる木は、
本当に無くなってしまったのかもしれません。

止むを得ない事情でこうした節のある材を使っているということなのかもしれません。

ギターに使われる材木も、早くからこうした現象が見られます。
60年代ぐらいのMartinなどで使用されてきたハカランダ材、
ギターマニアにとっては喉から手が出る程欲しいものです。
しかしワシントン条約で原産国からの輸出が禁止されてからは、
それ以前に出回っていたものを大事に使うようになったからか、
以前は木目が通った柾目が大半を占めていたものが、
節があったり板目のものも重宝されるようになってきました。

ハカランダ材が手に入らなくなってくると、
それに近い材として、ホンジュラスローズウッド、マダガスカルローズウッドなどが
代わりに選択されるようになってきましたが、
これも最近では出回る数が減ってきて、
板目の材料でも高価になってきています。


30年ぐらい前には、ギター材で節のある材料はほとんど捨てられていましたが、
高価な材からだんだん節のあるものも大事に使うようになってきました。
その分、資源が枯渇してきているということでもあります。

節の目立つ材は、黒いギターなどに、塗料で塗りつぶして
見た目に分からないように使う傾向がありましたが、
それはそれで良しとはしますが、
これからはあえて節を出して行く仕上げもいいのではないかと思っています。






自分のように、一点ものしか作らない(作れない)者にとって、
木目や節はその一本を彩る重要なキャラクターであります。


木も人間と同じく、全く同じ人が2人といないのと一緒で、
全く同じ木は二本と無いはずです。
それはその木を製材しても、同じ材は二つと取れないでしょう。

見た目や振動の仕方、発する音、皆それぞれ違うはずです。


節のある材を見た目に美しくないと捨てていた時代はもう終わりました。
節は、そこから枝が伸びていた跡なわけですから、
生命活動の証、自然の中では至極当たり前のものです。
柾目が細かく通った材を重宝しても、
ギターとして使っていれば傷もつきます。

人間の一生を見ても、
いろんな方向に枝を伸ばしたり、
時には傷つくこともあるでしょう。

これからは、そんな節や傷もキャラクターとして愛でる時代。


お伊勢さんの鳥居がそう言っているように、
自分には思えました。



意見には個人差がありますが(笑)