いよいよ一週間ぶりの帰宅の日。
朝から荷物をまとめて、お昼に来る従業員との交代に備える。
時計を見るとまだ8時半だった。
この1週間ずっと拠点と現場の往復しかしていなかったから、一度石巻の状況を見たいと思っていた。
隣町だし、近距離の移動用にと持ってきたオフロードバイクで出かけることにした。
久しぶりの休日、快晴、大好きなバイクに乗れる。
少し不謹慎かなと思いながらも、石巻の港方面を目指してバイクを走らせる。
南三陸町の現場に向かう途中、三陸道から見えた大きなクレーンの傍まで来た。

この写真の反対側は住宅地だ。
押し寄せた津波に街はめちゃくちゃに破壊されている。


黒く淀み異臭を放つ川。

工場やJRの貨物列車も軒並み破壊されていた。


この付近は未だに信号が復旧しておらず、警官が各信号で交通誘導をしている。
そのまましばらく走ると門脇町だ。
県道240号線を女川方面に向いて左側が燃えた車両の山、右側は瓦礫の荒野。



もはや行けども行けども、こんな景色が延々と続く。
日本中の建設に関わる業者を呼んだって、足りないんじゃないかと思うほどだ。
ふと携帯で地図を見ると女川町が近いことを知り、時間に余裕があったので
足を延ばして見る事にした。
県道を直進し国道398号線に出ると、浜松町に入る。
この辺一帯も例に漏れず津波の被害にあっているのだが、辺り一面糞尿の匂いが酷い。
何故、道路が濡れているのかと疑問に思っていると、マンホールから汚水が吹き出していた。
近くで子供たちが遊んでいたが、衛生面で心配だ。
そのまま右側に海を見ながら直進すると、程なく女川町に入った。
高台から見下ろす形になり、被害の酷さに見入ってしまった。

時間的に戻らなきゃならなくなって来たので、港を1周して帰る事にした。
女川町港周辺




帰路を確認するため、地図を見た時だった。
牡鹿コバルトライン
牡鹿半島の稜線を走る、県道220号 牡鹿半島公園線。
女川の港からは県道41号線を海沿いに走れば良い。
そのまま220号線に繋がるので、戻って国道398号線に出て帰れる。
昼間では1時間半ある。
せっかくここまで来たので、どうしてもバイクで走ってみたい。
茨城からバイクで宮城までなんて1泊じゃないと考えられないから、きっとこのチャンスを逃したら
二度とバイクで走ることは無いであろう、この峠道。
ガソリンはある。時間はギリギリだが、行って見る事にした。
結果的には、この判断は超大間違いだった。
とても古いヤマハセロー225 動かなくなってしまったのを譲ってもらい、直して乗っている。

道はとても悪い。
家に置いてきたCB1300じゃ、とても走る気にはならない。
でも、景色は最高です。
本当に震災前に来なかったのが悔やまれる。


久しぶりの峠道をどんどん進む。
途中、電線を張り直してる電気屋さんの大群と遭遇する。
自衛隊も捜索作業を行っていた。
女川原子力発電所の看板を通り過ぎ、もう少しでコバルトラインに乗れるはずだった。
そこで目にしたのは「車両通行止め」の看板。
まじですか
タダでさえ、時間ギリギリなのに今から戻れと?
もっとずっと手前で看板出さなきゃいけないんじゃないの(泣
こうなったら仕方ない、Uターンすると、帰路を急いだ。
ふと、なんだか暗いなと山の頂を見ると雲が低く垂れこめている。
嫌な予感は的中し、土砂降りの雨となった。
山の天気は変わりやすいと言うが、関東の天気の変わり方とえらい違いようだ。
拠点に戻ったら着替えないと風邪をひく、とても寒い。
ようやく女川町まで戻ると、国道398号を石巻方面へバイクを走らせる。
そこで、また事件は起きてしまった。
バイパスと旧道の交差点に差し掛かる手前でエンジンが止まってしまったのだ。
土砂降りの中うんともすんとも言わないセロー

自分のついてなさを呪いながらタバコを1本吸うと、ダメなのは分かりつつもセルを回してみた。
するとエンジンが掛かるではないか。
なんだかよく分からずとにかく走らせるが、500メートルも走るとまた止まってしまう。
こりゃキャブ詰まりだなと、思えば携行缶からガソリンを補給したのだった。
その時にゴミが入ったのだろう。
とっくに到着してる会社の人に救援を呼びつつ、ダマシダマシ走ると2人の人が大丈夫ですかと
声を掛けてくれた。
困っているときの優しい言葉は、五臓六腑に染み渡りますね。
その後、無事に会社の人と合流して事なきを得ました。
結局、13時頃に茨城に向けて出発するつもりが、17時半出発となり、到着したのは22時半となりました。
それでも、子供たちが起きて待っていてくれて、パパが帰ってきたと大騒ぎ。
1週間も家を空けることなんて初めてだったからなぁ。
朝から荷物をまとめて、お昼に来る従業員との交代に備える。
時計を見るとまだ8時半だった。
この1週間ずっと拠点と現場の往復しかしていなかったから、一度石巻の状況を見たいと思っていた。
隣町だし、近距離の移動用にと持ってきたオフロードバイクで出かけることにした。
久しぶりの休日、快晴、大好きなバイクに乗れる。
少し不謹慎かなと思いながらも、石巻の港方面を目指してバイクを走らせる。
南三陸町の現場に向かう途中、三陸道から見えた大きなクレーンの傍まで来た。

この写真の反対側は住宅地だ。
押し寄せた津波に街はめちゃくちゃに破壊されている。


黒く淀み異臭を放つ川。

工場やJRの貨物列車も軒並み破壊されていた。


この付近は未だに信号が復旧しておらず、警官が各信号で交通誘導をしている。
そのまましばらく走ると門脇町だ。
県道240号線を女川方面に向いて左側が燃えた車両の山、右側は瓦礫の荒野。



もはや行けども行けども、こんな景色が延々と続く。
日本中の建設に関わる業者を呼んだって、足りないんじゃないかと思うほどだ。
ふと携帯で地図を見ると女川町が近いことを知り、時間に余裕があったので
足を延ばして見る事にした。
県道を直進し国道398号線に出ると、浜松町に入る。
この辺一帯も例に漏れず津波の被害にあっているのだが、辺り一面糞尿の匂いが酷い。
何故、道路が濡れているのかと疑問に思っていると、マンホールから汚水が吹き出していた。
近くで子供たちが遊んでいたが、衛生面で心配だ。
そのまま右側に海を見ながら直進すると、程なく女川町に入った。
高台から見下ろす形になり、被害の酷さに見入ってしまった。

時間的に戻らなきゃならなくなって来たので、港を1周して帰る事にした。
女川町港周辺




帰路を確認するため、地図を見た時だった。
牡鹿コバルトライン
牡鹿半島の稜線を走る、県道220号 牡鹿半島公園線。
女川の港からは県道41号線を海沿いに走れば良い。
そのまま220号線に繋がるので、戻って国道398号線に出て帰れる。
昼間では1時間半ある。
せっかくここまで来たので、どうしてもバイクで走ってみたい。
茨城からバイクで宮城までなんて1泊じゃないと考えられないから、きっとこのチャンスを逃したら
二度とバイクで走ることは無いであろう、この峠道。
ガソリンはある。時間はギリギリだが、行って見る事にした。
結果的には、この判断は超大間違いだった。
とても古いヤマハセロー225 動かなくなってしまったのを譲ってもらい、直して乗っている。

道はとても悪い。
家に置いてきたCB1300じゃ、とても走る気にはならない。
でも、景色は最高です。
本当に震災前に来なかったのが悔やまれる。


久しぶりの峠道をどんどん進む。
途中、電線を張り直してる電気屋さんの大群と遭遇する。
自衛隊も捜索作業を行っていた。
女川原子力発電所の看板を通り過ぎ、もう少しでコバルトラインに乗れるはずだった。
そこで目にしたのは「車両通行止め」の看板。
まじですか
タダでさえ、時間ギリギリなのに今から戻れと?
もっとずっと手前で看板出さなきゃいけないんじゃないの(泣
こうなったら仕方ない、Uターンすると、帰路を急いだ。
ふと、なんだか暗いなと山の頂を見ると雲が低く垂れこめている。
嫌な予感は的中し、土砂降りの雨となった。
山の天気は変わりやすいと言うが、関東の天気の変わり方とえらい違いようだ。
拠点に戻ったら着替えないと風邪をひく、とても寒い。
ようやく女川町まで戻ると、国道398号を石巻方面へバイクを走らせる。
そこで、また事件は起きてしまった。
バイパスと旧道の交差点に差し掛かる手前でエンジンが止まってしまったのだ。
土砂降りの中うんともすんとも言わないセロー

自分のついてなさを呪いながらタバコを1本吸うと、ダメなのは分かりつつもセルを回してみた。
するとエンジンが掛かるではないか。
なんだかよく分からずとにかく走らせるが、500メートルも走るとまた止まってしまう。
こりゃキャブ詰まりだなと、思えば携行缶からガソリンを補給したのだった。
その時にゴミが入ったのだろう。
とっくに到着してる会社の人に救援を呼びつつ、ダマシダマシ走ると2人の人が大丈夫ですかと
声を掛けてくれた。
困っているときの優しい言葉は、五臓六腑に染み渡りますね。
その後、無事に会社の人と合流して事なきを得ました。
結局、13時頃に茨城に向けて出発するつもりが、17時半出発となり、到着したのは22時半となりました。
それでも、子供たちが起きて待っていてくれて、パパが帰ってきたと大騒ぎ。
1週間も家を空けることなんて初めてだったからなぁ。
