手話ができる成年後見人

手話ができる成年後見人

超高齢社会、単身、高齢夫婦世帯の増加など、今日本では成年後見人の必要性が高まっています。それは聴覚障害者の世界でも同じ。安心して心を開いてもらえる関係でありたいという
思いから、このブログを綴っていきます。

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  成年後見人は孤独?

 

成年後見の仕事を始めて1年余り、先月には初めての定期報告も終わり、報酬付与の審判書も届いた。

報酬をもらって、専門職後見人として自覚しなくてはと気を引き締める。

 

けど、、、、。

 

身内ではない人の終末を職業として支えることは本当に重い。

 

認知症高齢女性、1年前受任時は普通に元気だった、ある日訪問すると動けなくなっている。

救急搬送、入院手続きが終わると、医師から申し渡されたのは、「もう自宅には戻れない。病院で看取る、あるいは転院になる。」とのこと。

不在中の住居の管理、金銭管理(家賃、公共料金の支払い等)、今後は入院費が上乗せされる。

 

いつまで続くかわからない入院のため、収支に神経をとがらせながらできうる限りの減免制度をケアマネや病院の相談員に教えてもらいながら申請する。

 

この方は、ギリギリの年金で生活してきた人であるため、入院など不測の事態に陥ればたちまち生活自体が危うくなる。後見人は、なんとか本人の生活を成り立たせるために奔走する。

 

今できうることをやり尽くして、様々な事態をシュミレーションしてみる。もしお金が足りなくなったらどうなるのか、亡くなるとき財産が残ったら親族は相続を放棄するといっているがどうするのか、いずれにしても、この先本人の体調がどう変化するか誰にもわからず、これじゃあ考えても仕方がないかなんて開き直ってみたりして自分の不安に蓋をする。

 

全てに初体験の私にとって先行きの計算ができない財産管理に頭がいっぱい、彼女に寄り添った支援など後回しになってしまっている、それがまたふと自分を苦しめる。

 

成年後見の仕事は孤独である。

 

「社会福祉士のための成年後見実践」テキストに、

 

成年後見事務は成年後見事務は非常に孤独に感じられる事務となることがある。支援の行き詰まり感を感じたり、ご本人の状況に一喜一憂したりすることになるからである。このようなときは自分の悩みを聴いてくれる仲間の存在もあることが重要で、このことが心の支えになる。決して一人で抱え込むことをしないで、自分の胸の内を語れる存在があればこのような閉塞感を打破できる専門職だからやれて当たり前・・・ではなく専門職でも悩むのが当たり前。こう考えられれば相談もしやすいし、相談も受けやすい。成年後見人自身が一人で悩む必要はない。

 

うーん、そうだ、その通り!

先日弁護士で後見人の講演会では、弁護士でさえ「支援のチームに加えてほしい。」なんて庶民的なお話をされた。

 

同業の仲間は多くいるが話してもそれぞれにケースが違うこともあり、なんだか消化不良で終わることが多く、誰が共感してもらえるのかわからない。

 

目下のところは、自身の閉塞感の打破のため、気分転換、定期的な集まりでの意見交換など、できるだけ抱え込みすぎないようにしようと思っている。