大きな声で挨拶しょうよ!みたいな
挨拶運動があります。
学校でやってたりします。

おはようございますーーーーっ!
さようなりーーー!

本気でそれが良いと思っているのか
前から不思議に思っていました。

大きな声を出すことの効果、
あるのかな?
挨拶することでさわやかな気持ちになるって
あるのかな?
人と人との交流が生まれるってあるのかな?
よくわかりません。

なんだか偽善に見えてしまう。。。
というか、管理者の自己満足に見えてしまう。

表面だけを取り繕った
ハリボテを連想させる挨拶運動。。。。

挨拶、言いたかったら自然に言うのではないだろうか?
反対に、言いたくなかったら、
言わなくてもいいのではないだろうか?
小さい声でもいいのではないだろうか?
無視があってもいいのではないだろうか?

でも、そういえば、
小学校の先生をしているときに

この学校はみんな挨拶ができて
本当に素晴らしい!
表彰ものだ!


なんていう評価基準があったような気がします。

一人で、はあ?とか思ってました。(笑)
でも、それは確かに高評価の対象でした。

さて、何がいいたいかというと
別に反逆者のようなことではないのですが
取り繕ったルールは無意味なのではないかということです。

いやな子は本当に嫌なんじゃないかと。

もっと本当は重要なことがあって
誰もがみんな
自分のことを、過小評価したり
卑下したりしないでいい環境づくりを
真剣にやるべきなのではないかと。
私はこれができないからといって
全面的な否定モードに入るのではなく
こんなところがいいかも!と気づく環境づくり。
研究発表や表彰対象にはなりにくいかもしれないけれど。(笑)

かっこよくいえば、
持続発展的な未来を築いていく心の環境づくりです。

その昔、まだうら若き頃、
アンラッキー ウォーリーという海外の絵本に出会い
なんだかすごく良いなあと思ったことがあります。
ヒッチハイカーをして身軽であるべきなのに
即刻購入してしまうほど気に入ったのでした。(笑)

ウォーリー君は最悪なんです。
すべてがアンラッキー。
何をやってもダメダメで
外観も非常によろしくない。
もてない!
ほとんどの人に嫌われてる。
全面否定の権化です。

その事例が98%、絵本の構成になっています。
具体的にいえば、鼻水、おなら、悪臭、吹き出物・・・
ぷぷぷ・・・・
それらが全部、リアルなイラストで描かれております。
でも、最後の最後の1ページで

それでも両親は彼を愛してる!というオチがつていて
ハッピーな家族写真で終わっています。
肯定のページです。

この救われる肯定の1シーンで
彼は彼でいることの肯定モードでいられます。
誰もの心の中で
この肯定的な気づきがあれば
多分、挨拶運動と掲げなくても
自分から言いたくて、おはようって言える。
勉強も同じで、
ママから勉強しなさい!と言われなくても
自分がしたくてするでしょう。
お稽古ごとも、自分からするでしょう。
肯定の気づきがあれば!

そういう意味でも
大人のやることは、挨拶運動の強制ではなく
もっと違うことなんじゃないかと思います。
そして、大人はやるべきだと思います。
持続発展的な未来を迎えられる
心の環境づくりを!

あいさつをしろ!と一人つかまえて強制する時間を
君の作った絵本【じっとみて。】を
読んでくれないかなあ?と言って
耳を傾け、目を向け、
心を動かす時間を持つ方がいいのではないかなと
みらい育としてはそう思いますです。(笑)