今日の春秋欄に、某大手企業の創業者の
エピソードがあった。
ライターは、不景気だということで、
1980年あたりの不景気をクリアしてきた武勇伝を紹介することで
世間にがんばれメッセージを伝えたかったのだろう。

でも、私はその価値観の違いを感じてしまった。
それは、最後のブロック。

この創業者はメモ用紙を肌身離さず持っており
社内で気づいたことをメモ、担当者へ逐次送っていたようだ。
自分の目で問題を発見し、解決する努力を怠らなかった。
この努力を、熱意だとコメントしている。
そして、今の経営者にこの熱意はどれだけあるか?
と問題提起で締めくくっていた。

この熱意!この部分。
私は、この部分に違和感を持たざるを得なかった。

確かに、社長自らが現場の問題点を
ひとつひとつ発見し、報告し、改善命令を出すという
その行動は、ものすごいエネルギーだと思う。
エネルギーは熱量だ、熱意だ。
毎日なのだから、それはあっぱれだ。

でも、この猛牛のような行為を
生理的に受け付けることができない。
あまりに一方的すぎてね。
理にかなった行動だと思うけど
こうしなければ、会社を優位に存続させられなかったのだろうけど。
でも、熱意の種類が私の中のものとは明らかに違う!
と思ったのであった。
だから、自分は永遠に真の経営者にはなれないのだね。

ただ、実際にお会いしたりすると
おお!人格者だー!なんて
とたんにファンになったりするのかもね。

とりあえず、春秋読んで
違和感を持ったので、この場で発散させていただきやした!
アーメン。

で、おまえの熱意とはなんなんだよ!
そこを説明しないと。