老子曰く、
「人は生きている時は、体に柔らかさを保っているが、
死ぬと硬くなる。

草も生きている時は柔らかだか、
死ねば堅く干からびる。

つまり堅強なものは死の類いに属し、
柔弱なものは生の類いに属するのである。

だから武を誇る者は、やがて自らを死に追いやる。

素晴らしく大きな木があれば、
やがて切り倒される。

つまり弱いものは、強いものの上に属するのである」


強い風が来た時も、
強く堅い木は折れてしまうが、
竹や草など柔らかいもの程、
風に逆らわず、その身を保つ事ができるという例えです。


既に「耳タコ」な話しかもしれませんが、
老荘思想では、特定の道理を違う形を何度も話します。

こうする事で「馴染み」ができ易く、
自然と憶える事になります。



「武を誇る者」に関しては、
「戦わず、怒らず」というエピソードがあり、
「本当に優れた将軍は武勇を争わないし、誘いにも乗らない。

よく戦に勝つ者程、戦わない」
としています。

戦わず、怒らないを守れれば、
大道に合致すると言います。

先にリンカーンの話しもしましたが、
基本的には人が前から来たら道を譲れば良いのです。

相手に分からぬ様に、負けてあげられる人が、
本当の強者だと思います。



また「柔弱」で言えば、
「水」を引き合いに出します。

「水はとても柔弱である。
周りに合わせて、どんな形にも変わる。

そして大量に集まれば、全てを押し流すとてつもない力を発揮し、
逆に水滴でも、堅忍不抜の精神で、岩を穿(うが)つ事もできる。

柔弱がこの世で最も強いのに、
それを実践している人は天下に居ない」

水の例えは一度は聞いた事のある話しだと思います。

これに更に「柔能く剛を制す」という日本のお家芸である柔道のスローガン的なことわざもあると
「つい」剛を制したくなる様です。

あくまで「戦わず」が最善です。

孫氏の兵法でもそう言ってますよね。

余談ですが、
老子は、どうしても必要な時は、
戦えと言います。

ただし戦う時は、奇策を用い圧倒的に、なるべく民には被害が及ばぬ様に、
最短で決着すべきだと言います。

また、勝っても喜ぶべきではなく、
倒した相手を思い喪に服すとしています。




更に思い付いたので余談ですが、
よく男よりも女子のが強いと言われます。

これも老子の言葉を重ねるとしっくり来るのですが、
女性の方が男よりも肉体的にも精神的にも「柔らかい」と言えましょう。








この教えは、決して
「真理を知らない人達を嘲って、その上に在ろうぜ」
というものではありません。

しかしながら、
ただ強く、賢くあれと教育された世の中に違和感を感じ、
社会不適合な天邪鬼になった僕には、
この教えは、自己を肯定してくれるものです。


もちろんこの教えをどの様に受け取るかはあなた次第です。




過去の僕は、いかに自分が得をし、
強く、賢く見えるかと見栄を張って生きて来ました。

世は敵ばかりと思っていたので、
戦って勝とうとしていたのです。

心は常に緊張していました。

カチカチの心では、前向きで余裕のある創造力が出てくる筈もありませんでした。



しかし初めから敵なんて居なかったのです。

全ては自分の心次第でした。

誰かと比較して一喜一憂する必要も、
戦って、己の強固さを誇示する必要も無かったのです。








上善水が如く、忘我を目指し大道と合致する。

自己を誇示するでもなく、
他者の為になる価値を生み出し、
宇宙の果てまで、
時代を超えてその気持ちを届けるイメージ。



仏教的な思想も加えるならば、
全ては縁起。

僕達は既に在るだけで、互いに影響し合い、
お互いを存在させています。




大道ベースで言えば、生命を全うするだけで宇宙のお役に立っているのです。


それに加え、自分が所属する社会においても、
他者の為になる価値を提供できれば、
なお分かり易く「共同体感覚」を得られ幸福感が増すでしょう。

逆も言えば、
「分かり易い価値」を提供できなくても落ち込む必要はないという事です。

人には得手不得手がありますし、
タイミングもあります。



それを生み出す環境を得る為にも、
まずは自分の心を「柔弱」に保つのが近道になる筈です。





お互い楽しんで参りましょう。

ありがとうございました。

伊藤ガビト