聖世界主 超仏陀 至碧老祖(しはくろうそ) 公式サイト -12ページ目

聖世界主 超仏陀 至碧老祖(しはくろうそ) 公式サイト

2013年5月12日に、聖世界主となった、超仏陀 至碧老祖の公式サイトです。

愛を失ってつらいのは、その愛が、慈愛ではなく、自己愛に根ざしたものだったからです。失恋しても、相手が幸せならばそれでいい、どうか、この人が幸福でありますように、という祈りが出てくるようならば、その愛は、慈愛といえます。真の愛です。

愛は、執着し、妄執します。愛は盲目です。最近も、矢口真里さんが、浮気をしたとかで、離婚していましたが、浮気くらいどうということはないのです。それを、不倫(人倫=人の道=に反する)と言う方が間違っているのです。(ここでは、浮気を薦めているのではなく、単なる浮気くらいで、大事な夫婦関係を破綻させるな、と言いたいのです。)

現在の夫婦関係は、一対一の束縛しあう関係です。それがお互いにとって望ましいならばよいのですが、女性はともかく、男性は、何人でも愛することができるのですから、妻以外の女性を抱く事だってあるのです。それを、不貞行為といって離婚の重大な理由にあげているのは、現生人類が、意識の啓明を得ていないためです。

アダムスキーか誰かが、金星人は、フリーセックスだと言ったそうですが、心の結びつきのあるセックスならば、誰とでも、何人とでもしてよいのです。

セックスは、単なる肉体の性欲を満たすものではなく、霊的なエッセンスを交流させる、とてもデリケートな霊的行為です。ですから、より多くの霊的なエッセンスと交流するためには、沢山の異性、もしくは、同性とセックスした方がよいということです。(とはいえ、セックスだけがすべてではありません。また、それによって、ある種の混乱が生じる可能性はあるわけですが。そこは、魂が本当に望むことを行えばよいのです。無理に多数の人々とセックスをする必要はないし、生涯一人とだけ関係する、と言うのでも、良いのです。しかし、時として、魂は、多数の人とのセックスを求める場合がある、と言うことを言っているのです。それは、過去世に由来しています。)

私が、超仏陀を名乗っているのは、この辺が、通常の仏陀の概念を超越しているからです。

ですから、風俗、売春も(この言葉は汚いので、恋人代行業といいます)、胸をはって行えばよいのです。好きでもない男に抱かれるのは、霊的によほど高いステージにないとできませんから、それは、大いなる菩薩行と言えるのです。よって、売春防止法を撤廃することを私は主張しています。売春が女性の人権を侵害するといいますが、売春以外の仕事ができない人にとっては、その方が、より重大な生存権の侵害です。

愛は、アストラル界の感情です。慈愛は、コーザル界の感情です。慈悲は、ブッディ界の感情です。ですから、愛には、注意が必要です。愛は危険な感情です。失恋や強姦などで傷つかないで、自分は、この人の役にたったのだ。この人を幸せにしてあげたのだから、よかったのだ、と思うのです。そうすれば、強姦のトラウマが解消します。

すべて心のトラウマは、自己愛に根ざしています。心が傷つくのは、自己愛があるからです。自己愛を捨てなさい。そうすれば、あなたは、至福に一歩近づきます。