「LGBTs」という表記について | 知らない自分へ はじめの一歩

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普段鏡で見慣れた自分が、本当はもっと違う顔や心を持っているかもしれません。そんな自分へ、一歩踏み出してみませんか?

世の中的には「LGBT」という表記が多いですが、敢えて態々私が「LGBTs」と記載する理由をお話しておきますね。

LGBT」とは具体的には、同性愛者(レズビアンのL、ゲイのG)、両性愛者(バイセクシャルのB)、性別違和のある人達の中でも別の性になりたい人(トランスジェンダーのT)を指します。

ただ、セクシャルマイノリティと言われる人達はそういう人達ばかりでもなく、男性でも女性でも違和感のある、適合したい性別のないXと言われる人達や、恋愛・性愛の対象としてそのXの人や、トランスの人でも愛せる何でもありのパンセクシャルや、逆に、恋愛・性愛という意味での愛情を他人に感じないアセクシャルという人達や、恋愛感情は持つけれども性的な欲求を感じないノンセクシャルというような人達もいますので、「LGBT」とだけ括ってしまうのは私には少し抵抗があって、ですからセクシャルマイノリティセクマイ、またはLGBTsなどと言ったり書いたりしています。

人の有り様が千差万別なのと同様、セクシャリティ、性的指向(良く誤って性癖、と日常的に使われていますが、Sexual Orientationの訳ですから正しくは性的指向です)も千差万別、同じ言葉で括らなければ行けない必要も本来は無いはずですが、シスジェンダー(性別違和のない人)・ヘテロセクシャル(異性愛者)と同等の権利がない現状、性的マイノリティはとりあえずまとまって数を集めて認めて貰えるように働きかけをしましょう、という意図で「LGBTs」は寄り集まって色々やっている訳ですね。

それにしても、マイノリティというのは数が少ない人達な訳ですから、マジョリティに対する訴えかけに関して、数を頼まねばならないというのも本来おかしな話だと私は思います。
圧倒的に数は少ないけれど確実に存在する、という人達が黙殺される社会というのは健全ではないと思うので、どんなマイノリティであれ、数が少ないからといって存在ごと握りつぶしてよい理由にはならないと思います。
世の中には複合マイノリティという、一つのマイノリティ属性だけでは済まない人達もいて(かく言う私もその部類ですが)、そういう人達にとっては更に生きにくいのが今の日本の社会だと感じます。

なので、せめてマイノリティ同士では心の拠になりあって行きたいね、という気持ちがあって、私はレインボーのアクセサリーを身につけ、それを他の方ともシェアしたいと思うのでした。


以上、彼崎(ひさき)がお送り致しました。