やってきました!!


さわなおの世界一周一人旅


「エンジェルスタジアム」へ!


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今日のお目当ては・・・


松井・イチロー直接対決です!!


なんとロサンゼルスエンジェルス対シアトルマリナーズの試合が滞在していた7月15・16・17日の3晩連続、エンジェルスタジアムで開催されていたのです。

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松井は、彼がNYヤンキース時代、ヤンキーススタジアムとワシントンDCで観戦した経験がありました。

8年位前かな?


でもイチローのベースボールを生で見るのは初めてです音譜


席はエンジェルス側だし(ライトのイチローが見やすいとやまりょーが気遣ってくれました)、やまりょーから借りたエンジェルスのキャップを被ってはいますが、応援しているのはイチローですラブラブ(笑)


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おお!やっぱり生は迫力があります!!


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いた!!イチローだ~!!

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この打率ショック!

他の選手と比べて圧倒的な数字であることがスクリーンを見ると一目瞭然。


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遅れてきたせいで、ヒットを打つイチローを見れなかったのが悔やまれます(涙)


でも大盛り上がりの会場で、

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アメリカならではの観戦スタイルで、


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花火も見れて、

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何より生イチローを見れて大満足アップアップ

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そうそう、松井はこの日は出番がなく、二人の対決は見れませんでした(笑)

ざ~んねん!


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唯一の写真は、エンジェルスの勝利の後スタンドから出てきた後ろ姿のみ。すみませ~ん!


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あっという間の観戦でしたが、超楽しかったです!!


17日は最高のお天気のもと、サンディエゴの街並み、美味しいランチ、ミッドウェイ見学、メジャーリーグ観戦とフルコースの一日でした。

忙しい中、時間を作ってくれて計画してくれたやまりょーには「ありがとう」の気持でいっぱいです。


短い滞在ではありましたが、その間やまりょーといっぱい話をして、遊んで、良い刺激を沢山もらいました。

442連隊や日系人の歴史の話もそうですが、仕事の話では、今一緒に働いているボス(都ホテルの社長)が厳しいけれどとても素晴らしい上司だそうで、その上司を近鉄グループの社長にしたい、と熱く語っていました。

そんな風に思える上司とめぐり合えるなんて幸せなことですよね!

私も”人”ありきで仕事をしてきたような気がします。リクルート時代、秘書時代、尊敬する上司が居たからより頑張れたし、自分も成長出来たような気がします。


LAでもう少し頑張るやまりょー、これからの行く末が楽しみです!


やまりょーからのメールでは

「英気を養って、貴方らしい次のステップを踏み出してください。期待してまっせーー」なんていうプレッシャーかかる言葉をもらっているので、前向きに捉えて私なりに頑張りたいと思います!やまりょーに見習って!!


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会えてよかった!


ありがとう、やまりょ~!



7月17日、やまりょーにサンディエゴに連れてきてもらいました。


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最高のお天気に恵まれテンションも更にアップ!

最初に向かったのは「ホテルデルコロナド」です。


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ここのレストランでとるランチが最高に気分がいいそう。

確かに~!

ホテルの横は真っ白な砂浜と青い海が広がっています。


待ち時間の間にビーチを軽くお散歩。


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少し待つと席が空いた合図が。


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やまりょーオススメのロブスターのスープをいただきましたが、これが最高に美味しい!!


ビールも美味しいし、テラスで至福のひととき・・・

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お腹が満たされた後は、歴史あるホテルを少し散策して、サンディエゴの街へ。

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全米で7位の人口(122万人)を誇るサンディエゴ。

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過ごし易い気候、海あり・山あり・砂漠ありの豊かな自然、それを生かした様々なレジャー、大都市としての利便性、人口のわりには田舎風の土地柄・・・・

人々を様々な観点からひきつけてやまない魅力があると言われ、常に住みたい街の上位に位置しているそうです。


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桟橋から見えた「ミッドウェイ航空母艦」

本日のメインイベントです。


今からここへ行ってきま~す!!

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このミッドウェイ航空母艦(USS Midway, CVB/CVA/CV-41)は、第二次世界大戦後に就役し、ベトナム戦争や湾岸戦争に参加した本物で、ここサンディエゴで「ミッドウェイミュージアム」として一般に公開されているのです。


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母艦に乗るなんてもちろん初めてのこと。

どきどきしますね。


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いざ、乗り込みます!!


艦内は隈なく見学することができます。

これがかなり広い!!


では今から一緒にミッドウェイ内を探検しましょうニコニコ


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戦闘機が所狭しと並んでいるデッキを通り抜けて、狭い階段を降りていきます。


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歩き疲れるほどの広さ。

案内に従って歩いたから周れたものの、当時の乗組員やパイロットにはそんなものないわけですよね。(当たり前)

飛び立つ前にフラフラになりそうですべーっだ!


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デッキに戻って戦闘機を見学したり、


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戦闘機に乗った気分を味わえるシュミレーターも試してみたのですが。。。


「うえっ」


かなり酔いました(汗)


気分を変えるべくフライトデッキへ。


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戦闘機、攻撃機、ヘリコプターずらりと並ぶフライトデッキは圧巻の風景です。

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こんな風に実際にコクピットに座れる機体もありました。

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「トップガン」のトムクルーズ気分(笑)


あら?

母艦の横では水兵さんが見送りにきた彼女と熱烈キッスを交わしていましたラブラブ

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よく見ると、足元にも別のカップルが熱烈キッスを(笑)


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442連隊のブログでは戦争を批判しつつ、母艦を見に行ってるなんて矛盾してるでしょうか(^^;


この母艦や戦闘機を見て、男の子のように「かっこい~!!」「乗りたい!」という気持はさすがに沸き起こりませんが、これが実際の戦闘で使われたもので、ここに何百・何千人というパイロットと乗組員が乗り込んで戦闘機を戦場に送り出したり、迎えたりしていたと思うと、不思議な感覚に襲われます。

人間って何でもつくっちゃうんですね。


このミッドウェイは1943年秋から建造が開始され、対日本戦投入を目指して急ピッチで建造が進められたそうですが、実際に完成したのは終戦後の1945年9月。

これがもう少し早く出来ていたら歴史はまた少し変わっていたのでしょうか。


翌7月17日のLAでは、やまりょーが丸一日お休みを取ってくれてお付き合いしてくれましたニコニコ


過ごし方についても事前にこんなに一杯提案してくれたんですよ~。



↓やまりょーからの1週間ほど前のメール



肝心の17日ですが、私にはいろんな「腹案」(©鳩山由紀夫)があります。

(1)普通にLAで過ごす。

もちろん普通の観光スポットではなく、いろんなところに行きまっせー。でもLA界隈の観光は15・16日で出来そうですなー。



(2)サンディエゴ&メキシコ行き

南東に2時間走ればメキシコ国境。そこを超えて、メキシコ料理を食べて旅情に浸る。(メキシコは行ったの?)

サンディエゴの町も面白い。ホテルデルコロナドでリゾート気分でメシ食ったり、私のような軍事好きにはたまらない航空母艦ミッドウェー(乗艦できます)は最高級のお勧めスポットです。



(3)ディズニーランド

ここは1日十分楽しめる鉄板の場所。



(4)大穴!ラスベガス

飛行機で片道1時間、$100程度なので、朝一番の便で行って終日遊び、一泊してエンターテイメント・ショーでも見て、18日朝の便でLAXに帰ってこればそのままハワイ行きに余裕で間に合う。



あと、松井・イチロー直接対決のLAA対SEAは15・16・17の3晩連続でエンジェルスタジアムであります。ダウンタウンから南東、トーランスから東に車で30分から1時間、ってとこかな。生イチローはなかなかカッコ良く、一見の価値アリです。




全部魅力的~!!


「どれがいいかな~?」とちょっと悩んで決めたのは、(2)と最後のメジャーリーグ観戦のミックス。

ラスベガスも悩んだけど、少しハードになるし、サンディエゴなら帰り道にエンジェルスタジアムがあって一石二鳥!



海見て、軍艦乗って、野球観戦!なんて素敵なの~!

超盛りだくさんの一日がスタートしました音譜


出発は朝の9時過ぎ。

サンディエゴまで車で約2時間ちょっと。やまりょーの運転で向かいます。

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このときあらためてゆっくりやまりょーと話をしました。

彼の仕事の話、家族の話(彼には可愛い娘さんと奥様が居てこっちに一緒に住んでいます)、私の旅の話、前の仕事の話、「有名塾」の話・・・



その中で印象深かったやまりょーの話は、彼がLAに赴任してから勉強した日系人の歴史についてでした。

特に第二次世界大戦中のアメリカ合衆国陸軍において日系アメリカ人のみで編成された部隊「第442連隊戦闘団」については、まったく知らなかったことでした。そしてその部隊が編成されるに至った背景も驚く内容でした。


1941年12月の真珠湾攻撃に伴い、アメリカ合衆国は大日本帝国に対して宣戦を布告しました。

そしてその時にアメリカ西海岸に居住していた日系人ら約12万人とハワイに住む日系人会幹部や僧侶は、ほとんどの財産を没収された上で全米に散らばる強制収容所に強制収容されたのです。


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アメリカ軍兵士の監視の下、強制収容所に連行される日系アメリカ人(1942年4月5日)
(ウィキペディアより)



私は恥ずかしながらそのことすら知りませんでした。


 そしてこれに敢然と異を唱えたのが日系二世達でした。アメリカで生まれアメリカ文化の中で育った彼らにとっては、日本は遠い外国の国であり、アメリカこそが祖国なのだと。「差別の中にある今こそ、アメリカに忠誠を見せる時だ」と日系二世達は忠誠の証として軍隊に志願してアメリカのために戦う道を選んだのです。そこで編成されたのが日系人だけで構成された部隊「第100歩兵大隊」でした。この部隊には志願者が殺到し、定員の数倍に及ぶ日系人達が集まったそうです。

 

 日系二世兵士達は、自分達が日系人の代表であるという事を誇りに思い、自分達の行動が日系人の地位向上に繋がると信じていました。そのため不平一つ洩らさず、どんな任務にも従って結果を出し続けたのです。何より、自分達の両親は強制収容所にいるのです。もし第100歩兵大隊が活躍せねば肉親に害が及ぶかもしれない。だから絶対に失敗するわけにはいかないと、彼らは懸命に戦ったのでした。そして第100歩兵大隊は、数千人規模の大部隊である「日系兵士部隊442連隊」に成長しました。


 戦場に送られた連隊は、当初「なぜジャップがこんな所にいるんだ!」友軍からは奇異の視線で見られ、激しい差別を受ける事となりました。彼等を傘下に加えようとする部隊などおらず、連隊はほとんど独立部隊として各地を転戦する事を余儀なくされたのです。


 イタリア沿岸に上陸した連隊は、初陣から激戦に見舞われる事となりました。敵は世界最強のエリート部隊、独軍降下猟兵。しかも精鋭中の精鋭で知られる第1降下猟兵師団でした。このため連隊は上陸後わずか一週間で死傷者40名を出すに至ったのです。しかし友軍が戦線を放棄して撤退する中、彼らだけは頑として戦線を離れず、壮絶な銃撃戦の果てに勝利をもぎ取ったのです。


 その後の彼らの活躍はすさまじいものがありました。

負傷者が続出しても、連合軍の部隊のほとんどが敗走し再編成を行っている中でも、彼らは決しててひるむことなく最前線で戦い続けたのでした。

イタリアのモンテカッシーノの戦いでは負傷率97%、死亡率50%という大損害を出しながらの勝利でした。しかし彼らは尚も進撃を主張し、前線から離れなかったのです。これにはさすがの上層部も「もういい!お前達は充分、よくやった!もうドイツ野郎は逃げちまったよ!」と後方での休養を勧めたものの「俺達が戦っているのはドイツ軍じゃない。俺達は差別や偏見と戦っているんだ。それに勝つには命をかけて頑張るしかないんだ」と言い放ち、進んで前線に立ち続けたのです。また部隊の負傷者達は病院を抜け出し、すぐに原隊へと復帰していったそうです。

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イタリア戦線での活躍は広く友軍に知れ渡る事となり、彼らは一躍有名人となっていました。この実力も知名度もある部隊を自分の部下に加えたいと、あちこちの師団から誘いが来るほどでした。いまや日系兵士達は押しも押されぬ英雄になっていたのです。しかし、それと同時に442連隊は常に最前線に送られると共に、結果を出す事を義務付けられたのでした。


終戦間近の1944年10月、テキサス大隊がドイツ軍に包囲されるという事件が起こりました。彼らは救出困難とされ、「失われた大隊」 (Lost battalion) と呼ばれ始めていた。そして第442連隊戦闘団にルーズベルト大統領自身からの救出命令が下り、部隊は出動したのです。休養が十分でないままの連隊は、ボージュの森で待ち受けていたドイツ軍と激しい戦闘を繰り広げることとなりました。そして10月30日、ついにテキサス大隊を救出することに成功したのです。しかし、テキサス大隊の211名を救出するために、連隊の約800名が死傷していたのでした。


 欧州での激しい戦いを終え帰国した442連隊を待っていたのは「強制収容所での軟禁」という悲劇的なものでした。対日戦の勝利は間近とはいえ、彼等はいまだ敵性民族だったのです。「命を懸けて戦ったというのに、何も変わらないのか」人種差別という壁が大きく立ちはだかり、信じていたアメリカに裏切られた兵士達は深く絶望しました。


 ですが終戦間際になって、442連隊があげた戦果が凄まじいものであると分かると、状況は一変したのです。

その激闘ぶりは「のべ死傷率314%・全米軍部隊中1位(のべ死傷者数9,486人)」という数字が雄弁に物語っていました。そして勲章の数は「個人勲章獲得総数18000個・全米軍部隊中1位」「名誉負傷勲章獲得者6700名・全米軍部隊中1位(一人あたり平均2個)」という前代未聞の大記録でした。連隊はアメリカ合衆国の歴史上、もっとも多くの勲章を受けた部隊だったのです。この記録は大々的に公表され、アメリカ全土で広く報じられました。同時に日系人が置かれた状況も広く報道され、人々はアメリカの暗部を知る事となったのです。

 終戦後の混乱が一段落すると、時の大統領トルーマンは国民に向けてある演説を行いました。

その内容は「戦中、我々は日系人に対して不当な差別を与えてしまった。これはアメリカ史における最大の汚点であり反省しなければならない過去だ。それに気付かせてくれたのは442連隊の勇敢な日系兵士達であり、彼等には特別の感謝の気持ちを伝えたいと思う」といったものでした。


 ……この時、442連隊は遂に”差別”という敵に打ち勝ったのです。


 時の大統領ロナルド・レーガンも同団に対して、「諸君はファシズム人種差別という二つの敵と闘い、その両方に勝利した」と特に言及し讃えている。


 日系人達は強制収容所から解放され、国は賠償金を支払いました。彼等が戦中に失った名誉を回復するための運動が各地で始まり、歴史は見直されました。

 442連隊の元兵士達はホワイトハウスに招待され、大統領直々に感謝状を手渡されました。また第100歩兵大隊の故郷ともいえるハワイには博物館が建造され、彼等の勇気と献身を永久に語り継ぐよう記録の保管が始まったそうです。
 そして現在、442連隊の戦史を学ぶ事は米国陸軍の必修課程となり、多くの軍人が彼等の活躍を知る事になったのです。

※上記内容は下記HPより抜粋させていただきました。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ssbohe/one_goforbroke.htm


この442連隊の話をやまりょーから聞いて、とても複雑な気持になりました。鹿児島の知覧特攻平和会館で感じた気持ちに近いものがありました。


彼らの国、民族、家族を想う強さに圧倒され感動するとともに、彼らをそうさせてしまった、多くの犠牲を強いられる戦争という国家間の利益確保を目的とした武力行使を断行した当事者(政治家・軍上層部、戦争によって利益を得る人たち)には強い憤りを感じます。彼らには彼らなりの正義感というものがあるのでしょうが、人間は権力を持ったときにその意味を履き違えてしまう恐ろしさも持っていると思います。


世界一周中、どの国に行っても戦争の傷跡がありました。今だって地球のどこかで扮装が起こっています。

戦争がなくなることはないのでしょうか。


やまりょーが言ってました。

「やらないとやられるから仕方ない」と。

確かにその通りなんだけど・・・。

ここでブツブツ考えても仕方ないことだけど・・・。


世界で起こってきたこと(歴史)、今起きていることに常にアンテナを張って、自国(自分)目線でなく、あらゆる角度で客観的に見れる視野の広さを持つことが大切ですね。


やまりょーから大切な歴史を勉強させてもらいました。



※17日のサンディエゴ&イチロー観戦は次回のブログでお届けします。



7月15日、グランドキャニオン→フェニックスに滞在後、14年ぶりにLA(ロサンゼルス)にやってきました!

何故今LAか?

それは盟友”やまりょー”に会うためです音譜


やまりょーこと山田亮君とは前職のBOSSである木村政雄が塾長を務める「有名塾」で出会ったのがお付き合いの始まりです。私は1期性、彼は2期性。まだ200人ほどの塾生しか輩出していない中、偶然外部の集まりで出会ったのです。そこで意気投合し、二人で有名塾生1&2期性の合同交流会を企画したり、卒業後も、また私が木村政雄の事務所に勤めてからもその仲は続いていました。


近畿日本鉄道に務めるやまりょーは、4年程前から子会社である都ホテルに出向。都ホテルでもLAにある都ホテルに配属となったのです。帰国時には一、二度会ったのですが、最近連絡を取ってなかったやまりょー。今もLAに居るかな?居たら会いに行こうかな。そんな軽いノリで連絡を取ったら、なんとまだLAでバリバリ頑張っていました!


「ホテルはこちらで予約するから任せておいて」

頼もしいお言葉にすっかり甘えて、お願いすることにしました。

彼がどんなところで働いているかも見てみたかったので、楽しみが増えました。


初日15日の夜は、LAのダウンタウンはリトルトーキョーにある「都ホテルLA」に宿泊させてもらいました。

翌16、17日はトーランス市というダウンタウンから南に30キロの街に、新しく都ホテルができたそうで、そこに是非宿泊を!とオススメしてもらい、16日に移動することに。


やまりょーはこの両方のホテルのゼネラルマネージャーであり、これらのホテルを統括する会社の副社長でもあります。すごいな~!

普段は結構挙動不審で、ハジけるとただの変質者にしか見えないオトコなのに(笑)東大生って皆そうなのかしら?あ、やまりょーはこう見えて(まだ出てきてませんね)東大出身なのです。ほんまかいな。←だいぶ失礼


久々のLA。

空港を出てバスとタクシーでダウンタウンまでやってきました。


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「都ホテルロサンゼルス」
http://www.miyakoinn.com/japanese/index.asp


フロントの女性に言われて初めて分かったのですが、なんと支払いまでやまりょーが済ませてくれてる・・・。


夜会ったやまりょーに「それはダメ!」ときつく断ったのですが、

「今までいっぱいお金使ったやろ~。そんなことぐらいしかできひんし。」と一切聞く耳持たず。

私が渋っていると「じゃあ日本に今度帰ったときに高級キャバクラ連れて行ってくれ」と(笑)

やまりょーなりの気遣いに心打たれ、ありがたく甘えさせていただくことにしました。

やまりょー、ほんとありがとうね。


到着した夜、早速LAの夜景が一望できる最高のスポットへ連れて行ってくれました。


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いきなりこんな景色を見れるなんて!


「こんな大都会でバリバリ頑張ってるんやな~」

久々の会う友人に尊敬の念を抱いた夜でした。


リニューアルされた都ホテルのシモンズベッドでぐっすり旅の疲れを取った(ちょっと宣伝入ってます?)

翌16日。


ホテル目の前にある「大黒家」で漬け麺を食べ、

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地下鉄でハリウッドへ。


駅をあがると目の前が「ハリウッド&ハイランド」

ハリウッドBlvd.とハイランドAve.を囲む約60,000平方メートルの広大な敷地に、アカデミー賞授賞式会場となるコダック・シアターをはじめ、各国レストラン、シネマコンプレックス、ホテル、専門店街などが集合した複合型アミューズメント・パークです。


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こちらは中国寺院をイメージして建てられた映画館「グローマンズ・チャイニーズ・シアター」

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ワールド・プレミアが行われることでも知られています。

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そしてお決まり、ハリウッドと言えば・・・


ハリウッド大通りに埋め込まれた星形の敷石「ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムHollywood Walk of Fame」

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映画スターやミュージシャンなど、約2500人が名を連ねます。



そして偉大なる大スターの敷石も。


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これは??

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ドナルドダックです(笑)結構人気みたいですよ~!


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ハリウッドらしい観光もしつつ、次に向かった先は「メルローズストリート」

お目当てはもちろんショッピング音譜

ウィンドウショッピングだけのつもりが・・・


可愛いブティックで見つけたグリーンのワンピースを買ってしまって歯止めが利かなくなったようで、マークジェイコブスではセールのサンダル、バッグ、大量のお土産と、知らない間に紙袋が一気に増えていき・・・。

だ、だって~!今までお土産以外は買い物控えてたんですもの!!(ほんまか?)

あとハワイだけだし、最後くらい・・・・いいですよね??(ってもう買った後ですがべーっだ!


かなり上機嫌でメルローズを後にし、向かったのはサンタモニカビーチ。

やまりょーのオススメとあって行ったのはいいのですが、買い物に時間を費やしすぎて着いたのは辺りが暗くなった20時過ぎ。意味なし!!


雰囲気だけ感じて、その足で、やまりょーがいるトーランスの都ホテル「MIYAKO HYBRID HOTEL」へ向かいました。


↓これはお昼間に撮った写真です(見りゃ分かるって)


さわなおの世界一周一人旅

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トーランスは日本の3大自動車メーカーのうち2社:トヨタやホンダがアメリカにおける販売会社の本社を構えており、まさに出張に来られた従業員や取引先などに宿泊してもらう狙いがあって建てられたそう。他にも日系企業が多く集まる地域とあって、お客様の殆どが日本人だそうです。


お部屋の中も広くて本当に快適!


さわなおの世界一周一人旅


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何に一番驚いたかといえば・・・

浴槽の外に洗い場があるバスルームです!!


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これは世界一周中、どこの国のどのホテルでも見られなかったバスルーム。

久々の日本風お風呂にテンション上がります!!


バスタブにゆっくり漬かって、本来なら体を洗うのにお水を抜かなきゃいけないところを、広々とした洗い場に出てゆっくり洗って、またバスタブに戻ってまったり。。。


あ~、日本のお風呂文化ってほんとすばらしい!!!

またこれをホテルに作っちゃうところがすごい。そのホスピタリティに感動します。


「MIYAKO HYBRID HOTEL」

http://miyakohybridhotel.com/


その夜のディナーはホテル内にある日本料理「Gonpachi Torrance」でとりました。久々に食べる美味しい日本食、快適なお風呂、心身ともにすっかり癒されたLA2日目の夜でした。




これはNY→メキシコ→ペルー→メキシコ⇔キューバ後の、7月10日~15日までのアリゾナ滞在時の日記です。


今回の旅でのアメリカ滞在は計5箇所。


イリノイ州のスプリングフィールドはLPGA観戦のために、NYとLAは友達と会うために、最後ゆっくりするためにハワイ、そして観光地として唯一訪れた町がアリゾナ州にあるセドナです。

”全米で最も美しい町”(03年5月USAウィークエンド誌)とも言われたセドナは期待以上の美しさで、今回の旅でも印象深い滞在となりました。



セドナは大地のエネルギーが集中しているという”ボルテックス”が存在し、近年では地球のパワースポットやスピリチュアルな場所として密かに注目を集めている場所。

そこには神々が住むと考えられ、太古の昔より先住民の人々に「聖なる地」として神聖視され、様々な儀式が執り行われていたそうです。



セドナはアリゾナ州フェニックスの北約180㎞に位置します。


カンクンからフェニックスに飛んだ後、そのままレンタカーを借りてセドナに向かいました。


走ること約2時間。


レッドロックと呼ばれる赤い岩が見えてきました!



さわなおの世界一周一人旅


さわなおの世界一周一人旅


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鉄分を多く含む真っ赤な大地、澄み切った空の青、自然の見事なコントラストは息を呑む美しさです。

多くの現代人が癒しを求めてここに来るのが分かります。


さわなおの世界一周一人旅


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ここに来たらやはり4大ボルテックスを周らないと!

”ボルテックスVoltex”とは地球の磁力の源、またはエネルギーが渦を巻いているところといわれています。セドナにはいくつもボルテックスが集中していて、世界的にみても珍しそう。


なかでも強いエネルギーをもつのが、4大ボルテックス「エアポートメサAirport Mesa」「ボイントンキャニオンBoynton Canyon」「カセドラルロックCathedral Rock」「ベルロックBell Rock」と呼ばれる4つの場所。

訪れた場所や人にそれぞれの感じ方の違いがあるそうです。


3泊4日の滞在の間に、全てのボルテックスとその周辺のトレイル(岩の周辺を徒歩でハイキング)を経験しました。


こちらが「ベルロック」

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まず最初に体験したボルテックスです。



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静かで力強いエネルギーが湧き出ているような気がします・・・


ほんまいかな?という声が。

いや、マジで気持ちがいい空気が流れているのが分かります。

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続いて「シーニックハイウェイ」という州道179号線を走りました。

車窓からもセドナの自然が楽しめるドライブに最適なロードです。


さわなおの世界一周一人旅

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「Midgiey Bridge」からの景色。


さらに進むとオーククリークキャニオンへ。

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お決まりのジャ~ンプ!

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「ウェストフォーク」では初トレイルにチャレンジ。


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空気が澄んでいてトレックも最高に気持がいいんです!

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シーニックハイウェイをまた逆戻りし、次はウェストセドナに向かいます。

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こんな場所に高校が。いい環境ですね~(@@


奥の右端に見える岩が「コーヒーポットロック」と呼ばれるレッドロック。

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確かにコーヒーポット。

ペンギンにも見えるな~。


続いて2つめのボルテックスへ。

こちらは「ボイントンキャにオン」

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ここは岩の近くまでトレイルが続いていました。

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私はこのボルテックスが一番好きかも。

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人も少ないので、よりスピリチュアルな空気を堪能できました。


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夕暮れはもう一つのボルテックス、エアポートメセナへ。

さわなおの世界一周一人旅

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夕暮れに染まるセドナの街

さわなおの世界一周一人旅

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虹が出てきました。

二重になっているの、分かります?


この日は3つのボルテックスとシーニックハイウェイをまわって、セドナの魅力にどっぷり漬かった一日でした。

おかげで疲れるどころか、この土地のおかげで旅の疲れがすっかり取れたような気さえしたほどです。


翌朝は早起きして朝日を観に、またエアポート見晴台へ。

さわなおの世界一周一人旅

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熱気球が飛んでいます。

きっと気持いいでしょうね~!

ケニアのマサイマラで乗った気球を思い出しました。

(あ、そういえばサファリの後半のブログがUPできてなかった~(汗))

この日はかなり早起きだったので帰って少し仮眠。

午後からセドナでゴルフにトライしてみました!



さわなおの世界一周一人旅


ラウンドしたのは、「セドナゴルフリゾート」

さわなおの世界一周一人旅


とやかく説明するより、この写真を見ていただいたほうが神聖な雰囲気が伝わるような気がします。


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ゴルフ場内には野生のうさぎが沢山いて、ほんとに可愛かった~!

さわなおの世界一周一人旅

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さわなおの世界一周一人旅

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今までラウンドした中で、1、2を争う景色の良さでした。

あれはやっぱりセドナの雰囲気がそうさせるのでしょうか。

まるで夢の中でゴルフをしているような錯覚に陥るほどの不思議な体験でした。


こちらが滞在していた「セドナヒルトン リゾート&スパ」


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最終日は最後のボルテックス「カセドラルロック」へ。

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ここは最もボルテックスに近づけるトレイルだったかも。

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あまりの暑さに頂上まで上るのは断念しましたが、結構上まで行きました。

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お決まりですみません。

短いスカートで飛ぶなって?!



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いや~、このボルテックスもかなり気持ちよかったです!

暑さをのぞけば。

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この世界一周旅行でもう一度訪れたいリスト、間違いなく入りました。

今すぐにでもセドナに戻りたいな。。。

7月13日、セドナを名残惜しみつつ、グランドキャニオン国立公園へ移動。

車で走ること約2時間半。

日没までには何とか間に合いました。

そしてそこには運転の疲れなどぶっ飛ぶほどの 雄大な景色が待っていたのでした。


初めてのグランドキャニオン。

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それは想像を絶するほどのスケールと美しさでした。

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入場ゲートのお姉さんに日没スポットを尋ねて教えてもらったのが、デザートビュー。

端まで行く時間がなかったので「Pipe Creek Vista」から夕日を眺めたのですが、その美しさは言葉にならないほど・・・。


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写真家にとってグランドキャニオンは日の出前3時間と日没前後3時間が勝負といわれるそうです。


あまりの美しさに「ボーッ」としていると、あたりは次第に暗くなってきました。

星空を遮る光が全くないここでは、一番星も綺麗に撮影することができました。

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一番星に三日月、ほのかに残る夕日のオレンジから青に変わっていく空のグラデーションは、まるで絵を見ているようです。

短時間の滞在にもかかわらず、すっかりグランドキャニオンの持つエネルギーに圧倒された1時間でした。



この日は翌日の観光のために近くに宿泊。

グランドキャニオンビレッジ内に宿泊施設が8箇所あるのですが、どこも非常に混雑しており、ピーク時には半年以上前でないと予約が取れないほど。

そこは到底無理なので、公園から2マイルほど離れた近くの町トゥシャンに6件ほどモーテルがあることをガイドブックで読んだのでそこを調べたのですが・・・。

なんとそこも殆どが満室状態!!

前日まではいくつか泊まれそうなホテルがあったのに~(涙)部屋は空いているときに確保しておかないといけませんね。

ネットでは調べ切れなかったモーテル「Read Feather Lodge」に直接行ってみると、部屋がわずかに残っていました。ホッ。

設備はイマイチのわりに宿泊費が150ドルとは少々納得がいきませんが、こういうメジャー観光スポットではありがちなことです。仕方ありません。


しかし年間400万人が訪れるというアメリカの一大観光スポットに、何故宿泊施設がこれほど少ないのかはいまだに疑問です。先住民の許可がないと建てられないなど、特別な理由があるのでしょうか。ご存知の方、教えてくださ~い!



モーテルを早々と後にし、翌日もグランドキャニオンへやってきました。

※ちなみにグランドキャニオン国立公園の入場料は7dyas Passで25$でした。

 1day Passはありませんでした。


グランドキャニオンはサウスリム(South Rim)とノースリム(North Rim)に分かれており、一般的な見所が多い観光地はサウスリム。

観光地周辺は標高2,000メートル級の高地で、年間を通じて開園されています。園内は、巡回する無料のシャトルバスが3路線走っており、滞在者にとっては便利な足となっています。


その路線の一つ「ハーミッツレスト・シャトル」は8箇所の展望台を結び、サウスリムの最西端まで走ります。


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展望台の一つ「ホピポイント(Hopi Point)」で下車し、グランドキャニオンを望みました。

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昨日のデザートビューとはまた違う景色に圧倒され・・・・



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思わずジ~ャンプ!


またやってしまった・・・。



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7000万年以上の時を経て、今もなお侵食を続けているグランドキャニオン。
途方もない歳月が作り上げたこの大自然の造形美に圧倒されない人などいるのでしょうか。


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※「ヤバパイポイント(Yavapai Point)」からの景色


グランドキャニオンの断崖は平均の深さ約1200m、長さ446km、幅6km~29km、最深地点は1800mに及ぶそう。”壮大”という一言では表しきれないデカさです。


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リム沿いのトレイルを歩いて、次のポイントへ進みます。

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崖っぷちなので油断は禁物。手すりなどは設けられていません。


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そのため、毎年のように観光客がリムから滑落して命を落としているとか。こ、こわ~!!!


次の展望台「モハーベポイント(Mohave Point)」に到着。


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アリゲーターという尾根の左の谷間にコロラド川がはっきりと見えるポイントです。



最後は「ピマポイント(Pima Point)」へ。


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180度開けたパノラマが楽しめ、コロラド川が最も近く、長く見渡せるポイントです。


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川の中で白く見えるのは急流の部分。静かな日にはこの急流の音が聞こえるほどだとか。



(ウィキペディアより)

グランドキャニオンの起源は今から7000万年前、この一帯の広い地域が'カイバブ・アップリフト'とよばれる地殻変動により隆起したことに始まる。

約4000万年前、コロラド川による侵食が始まる。峡谷は500万年前にほぼその全容を現し、現在見られるような峡谷になったのは、約200万年前である。そして今もなお、浸食は続いており、最古でおよそ20億年前の原始生命誕生時の地層を浸食している。


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シャトルバスに乗って出発地点へ戻り、レンタカーに乗り換え、ビジターセンターがある「ヤバパイポイント(yabapai point)」へ向かいました。


1540年、西洋人として初めてグランドキャニオンを発見した13人のスペイン人の遠征隊員は、ここでキャニオンと劇的な対面をしたそうです。

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彼らの驚きはいったいどれほどだったのでしょう!

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展望台から見下ろすと、トント台地の中に、プラトーポイントトレイルが続いてるのが見渡せます。

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ここには展望台を兼ねたビジターセンターがあり、崖っぷちに突き出るように建てられています。大きなガラス越しに180度の展望を楽しめます。


中にはグランドキャニオンの立体模型や化石、パネルの展示があります。


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こちらも有名な展望台「マザーポイント(Mather Point)」


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世界各地には観光客をガッカリさせるような著名観光スポットが少なくない中、このグランドキャニオンだけは例外でしょう。


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アメリカが世界に誇る空前絶後の国立公園であると同時に、“地球を代表する観光スポット” とも言えるかもしれません。


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7月5日。キューバ3日目。

「革命博物館」へ行ってみる。


あらためて、キューバは”革命”によって再生した国であることを実感。

キューバについての知識といえば、カストロ、チェ・ゲバラといった革命家によってアメリカから(実質的に)独立した社会主義国であること、教育や医療は無料であることなど大まかには知っていたものの、革命に至るまでの歴史や経緯、キューバ革命以降の制度についてなどは、詳しくは知りませんでした。

この国にいざ行くとなって、ネットや記事などで調べだしたのが本当のところ。


ここで、キューバについて、そしてチェ・ゲバラについてあらためて記しておきます。少し長いですがお付き合いください。

※参考文献「地球の歩き方」「旅学」、(ネット)「ウィキペディア」他個人ブログなどから寄せ集め


(国土)
”カリブ海の真珠”といわれるキューバは、フロリダの南約145キロメートルに横たわる東西に延びる細長い島。全長は1250キロメートル、最大幅1919キロメートルもあり、面積は日本の本州の約半分にあたる11万1000キロ平方メートル。

キューバの国土は、南北アメリカ大陸、及びヨーロッパとの間を結ぶ航路と接し、交易を行う上で恵まれた位置関係にある。そのため、キューバは古くから通商の要衝として経済的に栄え、かつては「メキシコ湾の真珠」とも呼ばれた。


(歴史)

1492年10月27日、コロンブスは第一次航海時にキューバに到達した。当時島には先住民のインディヘナがいたが、スペイン植民地化が進むとともに滅亡の道をたどっていった。スペイン人によるキューバの植民地化は同時に砂糖産業、奴隷産業を盛んにし、キューバはスペインと中南米の拠点として著しく発展を遂げることとなる。

1762年にハバナはイギリス領になるが、翌年フロリダと引き換えにハバナは再びスペイン領となる。


19世紀初め、それまでスペインの専売だった葉巻の販売が自由化されると、キューバは砂糖に加えて葉巻の通商でも富を得るようになり、キューバ国内では次第に独立の気運が高まってくる。


1868年10月10日、第一次独立戦争勃発。1895年~98年にかけてはホセマルティを中心として、第二次独立戦争が起こる。混乱の中1898年2月に米西戦争が勃発。米側の勝利の結果、1989年12月10日、400年にわたるスペインの支配下からキューバは独立、アメリカの軍政下に入る。


 1902年5月20日キューバ共和国成立。1920年の第一次世界大戦はキューバの砂糖産業を再び盛り上げ、当時のハバナはアメリカ人から「カリブ海のモンテカルロ」と呼ばれ憧れの町だった。


1952年軍事クーデターによりバチスタ政権が樹立。翌53年、フィデロ・カストロは150名の同志とともに、バチスタ政権を倒すためにサンティアゴ・デ・クーバのモンカダ兵営を襲撃。しかしカストロは捕らえられ「歴史は私に無罪を宣告するであろう」と有名な自己弁論を行った。その後恩赦で出獄しメキシコに渡った。1956年12月にカストロは再びチェ・ゲバラなどの同志とヨット「グランマ号」に乗りキューバ上陸を図るが事前に発覚。山中に逃げ込みゲリラ戦を展開しながら勢力を拡大し、1959年1月1日に未明、バチスタはドミニカ共和国へ亡命。ここに革命軍が勝利を果たす。


カストロ新政権は政治の民主化を唱えるとともに、医療の無料化、教育の無償化、公共施設の是正、土地の国有化、企業の国有化などをすすめ、社会主義国として多くの問題に直面しながらも独自のスタイルを守り続けてきた。

(現政府の政策により、ラテンアメリカ地域特有の、スペインの植民地時代から続いてきた人種に基く伝統的階級社会は破壊され、多くの白人支配層や中産階級がアメリカ合衆国のフロリダ州や西ヨーロッパに亡命した)


しかし、ソ連邦崩壊後は孤立した状態となり、アメリカの経済封鎖は極度な物不足へとキューバ国民を陥れた。一時はどん底ともいえる状態だったが、ドル獲得のために力を注いできた観光産業が実を結び、現在はカナダやヨーロッパ諸国からの観光客で町は活気を取り戻している。


2008年2月19日、フィデル・カストロ国家評議会議長、退任。軍の最高司令官も退任する。2月24日、人民権力全国会議(国会)が招集され、国家評議会議長に弟のラウルが選出された。
ラウルは就任早々、規制緩和を次々打ち出し、一般国民の携帯電話所持やホテル宿泊、家電製品購入などが自由にできるようになった。


(教育)
キューバ革命後、政府は教育・社会福祉部門に対する投資率を高め、関連予算額が国家予算の16%を占めるようになった。そのため、政府は農村における文盲率の大幅な低下や、教育と医療の無料化といった成果を挙げることに成功している。
キューバでは、カストロ議長の「アメリカに半植民地にされたのはアメリカのプロパガンダを国民が見抜けなかったから」という考えから、教育に国を挙げて力を入れている。初等教育は義務教育となっており、小学校では20人学級やサブティーチャー制を導入している。
2002年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は、全体で99.8%であり、これはアルゼンチン、ウルグアイ、チリと並んでラテンアメリカ最高水準である。また、国民の大半は高校を卒業している。


(医療)
プライマリ・ケアを重視した医療制度を採用し、独特の社会福祉政策と同様「キューバ・モデル」として有名である。医師の数が国民165人当たり1人と世界一多い。
乳児死亡率は1,000人当たり6.5人(日本は1,000人当たり2.8人)。ファミリードクター制を採用し、各地区に配置された医師が地域住民の健康状態の把握を行っている。家庭医は往診が基本である。
医学部は無料で、留学生(アメリカ人も含む)も無料である。被災地への医師の海外派遣も積極的に行っている。


(通信とメディア)
通信社は国営のプレンサ・ラティーナに一元化されている。国内で最も読まれている新聞は、キューバ共産党機関紙のグランマで、スペイン語と英語のウェブサイトを運営している。
キューバは、今でも“キューバ共産党の一党独裁下にあり言論の自由に制限がある”とされる。これがアメリカ政府によるキューバ制裁継続の一因となっている。
フランスに本部を置くジャーナリストの国際的非政府組織、「国境なき記者団」が2005年に発表した「世界報道自由ランキング」では、キューバのランクは調査対象の167カ国・地域中161位にとどまり 、政府の意向に沿わない独立系ジャーナリストの逮捕・投獄・虐待が行われていると指摘されている。
2006年5月にはアメリカに本部がある国際非営利団体「ジャーナリスト保護委員会」が発表した検閲国家ワースト10のリスト」でキューバが7位に挙げられた。また、国外からの情報を遮断するためにネット検閲が導入され、インターネットの使用を許可制にしている。


(チェ・ゲバラについて)

ゲバラについては、下記個人(日本人)のサイトから抜粋させていただきました。

2000年、彼(サイトの筆者)はゲバラのお墓参りをするためにハバナに船で入稿し、30時間と言う限られた時間内でお墓を探し出しお参りを果たすという、まさにゲバラファンの熱い男性。

彼の文章はとても読みやすく共感したので、引用させていただきました。是非彼のサイトものぞいてみてください!

http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/guevara.html

「武力による革命には安易に賛同できないけれど、「人間による人間の搾取をなくしたい」というゲバラの気持ちは良く分かる。」



チェ・ゲバラという漢(おとこ)

※上記サイトより引用。一部追加している箇所もあります。


チェ・ゲバラ(キューバではゲバーラと言う)の本名はエルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ。1928年6月14日、アルゼンチンに生まれる。つまり、彼はキューバの英雄となったアルゼンチン人だ。“チェ”はあだ名で、意味は『心にくいヤツ』『(掛け声の)よっ、大将』。
19歳の時にブエノスアイレス大の医学部に入り、25歳で博士号(医学博士)をとっている。

彼は在学中に約1年間ラテンアメリカ全土をオンボロのバイクで放浪し、南米社会の極端な貧富の差に社会の矛盾を感じ、どう生きるべきか思い悩む。
特にインディオをはじめ、各地で少数民族が不当な弾圧を受けている現実に打ちのめされた。

『その頃私は医者としての個人的成功を夢見ていた。しかしこの旅を通じて考えが変化した。飢えや貧困を救うには注射だけでは不十分だ。社会の構造そのものを変革せねば。病人の治療より重要なことは、病人を出さないことだ』
彼は貧困層を取り巻く劣悪な住宅環境や、深刻な栄養不足を改善することこそが、自分の最優先課題だと考え始める。

医学部を卒業後、ペルーの診療所に行くはずが途中でグアテマラの内戦に遭遇。グアテマラでは左派政権が大地主の土地を没収して貧しい農民たちに分配したが、これをきっかけに富裕層や米国に支援された反政府軍が攻撃を開始。ゲバラはグアテマラ政府軍の一員として戦うが敗北しメキシコへ脱出する。そこで運命的に出会ったのが、生涯の盟友となるキューバ人の青年弁護士、フィデル・カストロだった。
カストロはキューバ国内で反政府運動に参加していたが、厳しい弾圧を受けてメキシコに潜伏していたのだった。


キューバ革命に参加


1950年代のキューバは米国の属国同然で、土地、電話、電力、鉄道すべての利権がアメリカ資本の手に渡り、首都ハバナはマフィアが横行する無法の歓楽街となっていた。しかもキューバ政府の要人は独裁者バティスタ将軍を筆頭に米国にゴマをする者ばかり。巨額の黒い金が支配層間で動いていた。

そのバティスタ軍事政権を打倒する為に、カストロは武装した同志82人と今まさに祖国に戻らんとしていた。情熱的に巨悪と立ち向かうカストロの生き方に感銘を受けたゲバラは、軍医として彼らに同行することを決意し、1956年12月、キューバへの密航船に同乗した。
ときにカストロ29歳、ゲバラ28歳。


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ところがこのキューバ上陸作戦は事前に情報が漏れており、海岸にはバティスタの政府軍がズラリと待ち構えていた。上陸時の激戦でメンバーの4分の3以上が死に、付近の山に逃げ込んで助かった者はわずかに17名。それも武器と食料の大半を失って…。
普通なら絶望してしまうところだが、この時にカストロが語った言葉がすごい。
「俺たちは“17人も”生き残った。これでバティスタの野郎の命運は尽きたも同然だ!」
戦車や戦闘機で武装した2万人の政府軍に対して、17名の革命軍でどうやって戦うのか。さすがのゲバラも、カストロが悲嘆のあまり発狂したのではないかと真剣に心配したという。

しかしカストロには、本当に勝算があったのだ。
キューバ人の大半を占める貧農は、普段から徹底的に支配層から抑圧されていた為、戦闘が始まれば必ず自分たちを支持すると確信し、事実そうなった。
これには、彼ら革命軍が農村で食料や物資を調達する際、必ず農民に代金を支払ったことも大きな要因だ。略奪が日常茶飯事だった政府軍とは決定的な差になった。
また、医者のゲバラは戦闘が終わると自軍だけでなく、負傷した敵兵にまで必ず治療を施した。こうした仁義話はキューバ全土にすぐに広まり、政府軍の中からもゲバラたちの仲間に加わる者が出た。

古今東西のゲリラ戦を研究し尽くしたゲバラは、政府軍の意表をつく様々な作戦を立案し、最少の人数で最大の戦果をあげ続けた。
一方、カストロは情報戦の重要性も熟知しており、積極的に内外のジャーナリストに取材をさせた。これでいくらバティスタが隠そうとしても革命軍の連戦連勝ぶりは民衆に伝えられ、ますます支持を得たのだった。

上陸から2年後、サンタクララがバティスタ軍との最終決戦の地となった。ゲバラは7倍の敵に対し、兵力の少なさを悟られぬよう複数の地点から攻撃を開始。また敵の退路を絶つ為に軍用列車を破壊した。パニックに陥った政府軍は雪崩をうって投降し始める。“ゲバラは捕虜を殺さない”という噂がこの投降を加速させた。
サンタクララ陥落の報を聞いたバティスタ将軍は、恐怖に駆られ国外へ逃亡する。


1959年1月2日、民衆の大歓声に迎えられ革命軍はついに首都ハバナへ入城し新政権を樹立させた。首相に就いたカストロは若干31歳、国銀総裁のゲバラは30歳という、若者たちの政府が誕生した。


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ゲバラとカストロはすぐさま新生キューバの建設にとりかかる。
まず国民全員が文字を読めるよう教育を無償化すると共に、政府軍が使っていた全ての兵舎を学校に変え、文盲一掃運動に取り組んだ。続けて医療の無料化を実現した後、少数の大地主が独占していた土地を国有化、米国資本が牛耳っていた企業の国営化などをすすめ旧勢力の激しい抵抗を受けつつも独自の国家作りに挑戦した。


国民全員の家賃を半額にするなど、過激な政策をどんどん実行していった。

キューバ革命で最も煮え湯を飲まされたのが隣国アメリカだ。
キューバ全土の土地や電力、鉄道などの巨大な利権と、ハバナ歓楽街のブラックマネーを一度に失った米国は、革命政府に憎悪をたぎらしCIAを暗躍させ、爆弾テロ、米軍傭兵部隊の上陸作戦など様々な方法でゲバラたちを倒そうとした。
1962年、米国の破壊工作にブチ切れたカストロは、ソ連(当時)の強力を得て核武装に踏み切ろうとした。マイアミの目の前に核弾頭を突きつけられてはかなわんと、米国内はパニックになった。
これが俗に言う『キューバ危機』である(最終的に米国の圧力にソ連が屈し、核配備は流れた)。


ゲバラが国立銀行総裁になって一番最初にしたことは、自分の給料を半分以下にカットすることだった。工業相になってからは自ら建設現場で働いたり、工場のラインに立って作業を手伝った。サトウキビの収穫期には農園で汗を流し、とにかく人々の中へ自ら飛び込んでいった。これは彼にとって美談でも一過性のパフォーマンスでもなく、いつもの“ごく普通の光景”であった。
仕事場には誰よりも早くきて、帰りは誰よりも遅く、労働者に交じって食事をするゲバラ。国民の間でどんどん彼の人気は高まっていった。

彼はモラルや正義を重視し、腐敗や私欲とは無縁の誇り高い男だった。


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…ところが!ゲバラが本当にスゴイのはここから。
1965年、37歳になった彼は突如失踪した。彼は自身の信念によってキューバを去ったのだ。アルゼンチン人のゲバラは、キューバにおける自分の役目は終わったと判断し、貧困と搾取に苦しむ新たな国へ、再び一人のゲリラとして向かったんだ。国家の要人という地位を投げ捨て、再び過酷なゲリラ生活に帰っていった。
ゲバラはアフリカで戦い、続いて南米ボリビアへと転戦した。


そして運命の1967年10月8日、ボリビア山中でCIAのゲバラ追跡部隊に指揮されたボリビア軍に捕らえられ、その翌日、全身に弾を撃ち込まれて射殺された。捕虜として収容所へ送られるのではなく処刑されたのだ。

最期の言葉は上官の命令でゲバラに銃口を向け、ためらう兵士に叫んだ「ここにいるのは英雄ではない。ただの一人の男だ。撃て!臆病者め!」。39歳の若さだった。

※最期の言葉は、「落ち着け、そしてよく狙え。お前はこれから一人の人間を殺すのだ」という説も。
ゲバラを射殺した元兵士は後年、目の治療のために第三世界で最も高度な医療を無料で受けられるキューバを訪れている。キューバ政府は特に問題にせず、彼は無事に治療を受けることができた。


ゲバラの遺体はすぐにヘリコプターで近くの町バージェグランデまで移送され、そこで“ゲリラのリーダーが死んだ証拠”として、見せ物のように晒された。人々が見学に訪れると、ゲバラは目をしっかり見開いたまま死んでいた。その死に顔があまりに美しかった為、「まるでキリストだ」と胸で十字を切る者までいたという。


ゲバラはキューバを去る時、カストロに別れの手紙を送っていた。


『フィデル、僕は今この瞬間多くのことを思い出している。初めて君と出会った時のこと、革命戦争に誘われたこと、準備期間のあの緊張の日々のすべてを。死んだ時は誰に連絡するかと聞かれた時、死の現実性を突きつけられ慄然とした。後に、それは真実だと知った。真の革命であれば、勝利か死しかないのだ。
僕はキューバ革命で僕に課せられた義務の一部は果たしたと思う。だから僕は君に、同志に、そして、君の国民達に別れを告げる。僕は党指導部での地位を正式に放棄する。大臣の地位も、司令官の地位も、キューバの市民権も。今、世界の他の国々が、僕のささやかな助力を求めている。君はキューバの責任者だから出来ないが、僕には出来る。別れの時が来たのだ。
もし僕が異国の空の下で死を迎えても、最後の想いはキューバ人民に向うだろう、とりわけ君に。僕は新しい戦場に、君が教えてくれた信念、人々の革命精神を携えてゆこう。帝国主義があるところならどこでも戦うためにだ。永遠の勝利まで。革命か、死か』


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いざ「革命博物館」へ。


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博物館内は一部英語の説明もあり、革命に関する資料や写真、武器などが展示されていて、革命の様子を知ることができます。

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裏手の広場には戦車と戦闘機、そして、メモリアルグランマ号があります。


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これが1956年、カストロとゲバラら革命軍が、バチスタ政権を倒すためにメキシコからキューバ上陸を図った際に使ったヨット「グランマ(おばあちゃん)号」

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ガラスケースに収められ、厳しい警備のもと管理されていました。

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こんな小さな船で遥遥メキシコから100名にも満たないチームで2万人の兵を相手に乗り込んだのですね。

その闘志やいかに。。。。




革命博物館の後は、ゲバラ博物館もあるカバーニャ要塞とモロ要塞へ向かいました。

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モロ要塞から見るハバナの町並みは最高です。

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歩いて近くのカバーニャ要塞へ。

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こちらがゲバラ博物館。


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館内の展示は、1967年にボリビア山中で銃殺されるまでのゲバラの軌跡が分かるようになっています。



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若かりし頃、アメリカに放浪したときの写真です。


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医者(軍医)として活躍した当時の写真。



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そして父親、夫としてのゲバラ。

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写真を撮るのが好きだったゲバラ。

日本製のカメラ(確かニコン)を愛用していたとか。。。


彼はここで実際に執務を行っていました。


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当時の机がそのまま残されています。


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本当は触ることもできない机なのに・・・


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観光客が私一人だったので、館内のお姉さんが「写真、こっそり撮ってあげるから座ってきてもいいわよ!」とナイショで撮ってくれました!

か、かんど~カゼ




窓からはオールドハバナの町並みが一望できます。

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ゲバラはここからこの町並みをどんな思いで日々眺めていたのでしょう。

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毎晩21:00からは150年間続けられている大砲の儀式があります。


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スペイン時代の征服を着た軍人が太鼓をたたきながら現れ、一連の儀式の後に大砲に発火。


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要塞と暗闇を揺さぶる「ドン」という巨大な音が響きわたりました。



儀式を堪能したあとは、またあの店へ。


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彼らとはお店でいっぱいおしゃべりして、すっかり仲良くなりました。

本で読んだだけでは分からないことが、実際に訪れて、そこで生活している国民に触れて、分かることが多く、旅の醍醐味はそこにあるのかな。。。と世界一周も終盤にさしかかったこのごろ感じています。

彼らとは日本のことやキューバのことをお互いに聞きあって、交流できたおかげで、キューバの生活の実態を少し知ることができました。

食料など最低限の生活用品は政府から配給があります。それは雑誌で読んで知っていたのですが詳細を聞いてみました。

6ポンドの米、5ポンドの砂糖、20オンスの豆、ハーフポンドの油、1スープ、11オンスのコーヒー、10個の卵、11オンスのチキン、子供にはミルク、大人(46歳以上)には2本の葉巻と4箱のタバコが月に一度配給されるそうです。

生きて暮らせる最低限の食料が配給されるという社会主義国の実態。足りないものは自分達で稼いで買う。月収平均2500円の中から。


彼らは今の政府に少し不満も持っていて、国民全員が現状の生活に決して満足しているわけではないことも知りました。。。

だからといってキューバに悲壮感が漂っているかといえばそうではなく、むしろ逆。

毎日キューバ音楽の生演奏が街には流れ、人々はそれなりに自分たちの国を愛して、誇りを持って生きているようにも見えました。まず何より、彼らはいくら貧しくてもキューバを離れようとしない。


溢れんばかりのモノに囲まれ、それでもまだ何かが欲しい私たち(資本主義)の国。

買うお金がない。あっても買うモノがない、カリブの赤い島。


自らの信念に導くまま、圧制に苦しむ民衆に希望の光を与えるべく、青年たちが美しいカリブの島で「革命」という武力闘争に命まるごと飛び込んで行ったのは、わずか50年前の出来事です。


自らの国を取り戻してくれた外人部隊長の革命家の記憶はいまだキューバ国民の心にしっかりと刻まれているようでした。

物質的な貧しさの中でも、背筋を伸ばして凛と生きいてるキューバ国民を見ていると、50年前にカストロやゲバラがみた理想の国が、その道を外れることなく歩んでいるのだと・・・・


さわなおの世界一周一人旅



(エピローグ)

さわなおの世界一周一人旅


「最も重要なことは権力を握ることではなく、握った後に何をするかを明らかにすることだ」

(チェ・ゲバラ)



「もし我々が空想家のようだと言われるならば、救い難い理想主義者と言われるならば、出来もしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう、“その通りだ!”と」(チェ・ゲバラ)



フランスの作家レジス・ドブレは、革命軍に帯同した際のゲバラの印象を「好感は持てないが、驚嘆に値する人物」と評した。他にもジャン=ポール・サルトルから「20世紀で最も完璧な人間」、ジョン・レノンには「世界で一番格好良い男」、カストロには「道徳の巨人」「堅固な意志と不断の実行力を備えた真の革命家」と評された。



キューバ:首都ハバナでの2日目、3日目。


世界遺産にも指定されているオールドハバナ(旧市街)を中心に街を散策しました。


宿泊したホテル「イングラテーラ」はスパニッシュコロニアル様式のホテル。


さわなおの世界一周一人旅


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ホテル内は天井が高く、

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客室もアンティーク調。


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といえば聞こえはいいですが、設備は最低限のみ。

ホテルの良いウワサはあまり聞いてなかったので期待していませんでしたが、サービスはいまいち。

フロントのスタッフのやる気のなさには笑えます。

でも立地は抜群だったので、良しとしましょう!


コロニアルな街並みの中を40~50年代のクラシックカーが走る様子を眺めると、どこかの時代にタイムスリップしたような錯覚に陥ります。

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ホテルの前はセントラル公園。

ホセマルティの像が建っています。


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献花の儀式に遭遇。


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19世紀やそれ以前の黄金時代に財力をつぎこんで建てられた見事な建造物が多く残されています。


ホテル前から、昔ながらの面影を残すというオビホス通りを歩きました。


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商店が並び人通りが絶えません。


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が、一筋入ると・・・


こんな光景。


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この賭博?はドミノだそうです。


オビスポ通りには、かつてヘミングウェイが定宿にしていたホテル「アンボス・ムンドス」が。


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このホテルを拠点に、初日の夜に行ったバー「エル・フロリディータ」にもたびたび顔を出したそう。


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アルマス広場前には古本を中心とした小さなマーケットが。

ここでゲバラの肖像画入りのお札とコインを購入!


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革命直後の国立銀行総裁でもあったゲバラの肖像画つき3ペソ札は、既に発行しておらず入手しにくいそうです。更にこれは観光客(外国人)が使う通貨ペソ(CUC)と異なっており、ゲバラの肖像が入ってるのは国民が使う人民ペソ(CUP)だから尚更です。

1CUC=25CUP(=1ドル)程の違いがあるのですが、この人民ペソ(特にゲバラの肖像入りの3CUP)は入手しにくいので、これを1CUC(1ドル)とか、下手すると3CUC(3ドル)で売りつけられたりします。実際の価値は15円くらいなのに。観光客が欲しがっているのを彼らは知ってるんですね!

私は交渉して1回目は1枚1CUCで、2回目は3枚の紙幣と1枚のコイン(計12CUP)を3CUCで購入しました。。。


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キューバ3ペソ硬貨。ゲバラの頭の上の言葉は「patria o muerte」とあり、「愛国か死か」という意味でキューバ革命時の合言葉となったものです。

※毛沢東や金日成やフセインらと異なって、カストロは自らのアイコン化(個人崇拝)を禁じてきたとされてきましたが、早くに亡くなったチェ・ゲバラのアイコンはずいぶん前からあるようです。



オビスポ通りの1件の古本屋?が目に留まりました。


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お店の雰囲気に惹かれフラフラッと入ると、黒人のお兄さんがとても親切に接客してくれました。私がゲバラのアイテムを探していると言うと、「奥に古い映画やドキュメンタリーのポスターが沢山あるよ」と見せてくれました。


どれもこれも格好いい!!


全部欲しいくらいだけど、予算の都合もあるので、「後でゆっくり見に来ます」とお店を後にしました。その後このお店が足げく通うお店になるとは知る由もなく。


通りを進んで海沿いまでやってくると、雨が降り出しました。




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カフェで雨宿り。


30分ほど待つものの止む気配がないので、市内を巡る観光バス「ハバナバスツアー」に乗り込みました。

3路線あり、どれも乗り降り自由の一日乗り放題で5CUC(5ドル)。

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可愛い三輪タクシー

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旧国会議事堂


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ブンタ要塞


菅原○○??ちゃうちゃう。


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奥に見える街並みが旧市街

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お兄さん、手振ってないで前見て!!

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ほら!そんなことしてるから事故するんやで~。


って嘘です。違う車でした。

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どこの国でも釣り人が!

そういえばヘミングウェイもカストロと釣りしてる写真があったな~。


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これもどこの国にでもあるおばさまの井戸端会議?


「ちょっと勝手に写真撮らないでよ~」(左のおば様)

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初日に通った「革命広場」にやってきました。

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カストロに。。。。


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アイラブ、ゲバラ!!

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カストロやチェゲバラの率いる革命軍がバチスタ政権を打倒した1959年のキューバ革命から50年。

ゲバラが亡くなって早43年もたちますが、未だその人気とカリスマ性は健在のようでした。

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文太要塞・・・


じゃなくて!

ブンタ要塞の見える海岸線に戻ってきました。

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雨もすっかり止んだので、バスから降りて軽く食事を。


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海老のガーリックオイル炒めにビール。

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そしてキューバ音楽の生演奏。

いたるレストラン、カフェでライブが聞けて、さいこ~の気分↑↑ニコニコ


メモ「キューバ音楽」(ウィキペディアより)
キューバ音楽は、スペイン系とアフリカ系の音楽が融合して生まれたものをベースに、いろいろな要素が混じり合って生まれており、ラテン音楽の中枢的な存在となる。アメリカ合衆国のジャズなどとともに20世紀の大衆音楽に大きな影響を与えた。
代表的なキューバ音楽は、スペインのギターとアフリカの太鼓を組み合わせたヨルバ系文化の影響が強いルンバやソンがある。その他、大衆音楽の中には、トローバやダンソンのようにヨーロッパ音楽の要素が比較的強く残っているものもある。

お腹が満たされた後は、オビスポ通りにある、例の古本屋?アンティークショップへ。今日で3回目。

というのも、ポスターを見に戻ってお兄さん(名前はロベルトです!)と話してたら、「サルサは踊らないのか?」と聞かれ、(実は一度だけ習ったことがあるけど身に付く気配がなくすぐに断念した)「踊りたいけど踊れないから・・・」と言うと、「夕方来るスタッフ(女性)が上手だから、ステップを彼女に教えてもらったらいいよ!キューバに来てサルサを踊らないなんて!!」(ありえない)と言われ、夕方また戻ってきたのでした(笑)


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彼女がサルサの上手な”ヤヤ”(あだ名)。奥がロベルト。


なんだか二人とも絵になるな~。かっこいい。。。

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早速サルサのレッスン開始!

まずは二人がお手本です。

(って仕事中だけどいいんかいな??)


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私のi-phoneでサルサを流して1.2.3のステップを教えてもらいます。

さわなおの世界一周一人旅

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ヤヤ「やだ~!いつの間に写真撮ってるの?」


その後私もトライしてみるも、これがなかなか難しい!!

20時頃お店に訪れて、閉店の22時までサルサレッスンしてもらったり、おしゃべりしたり。

すっかりくつろいじゃいました~。買い物一つのしてないのに。なんていい人達なんだ。




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しかも、ロベルトはその後のサルサ見学まで付き合ってくれました!

お店からすぐ近くのホテル「フロリダ」のバーの光景。


皆めちゃくちゃサルサダンスがうまい!!

練習の成果を・・・

なんて見せれるわけありません!!

ひたすら感動しながら眺めておりました。


日本帰ったら、もう一回習ってみよっかな~にひひ

世界一周、20カ国目は・・・


メキシコのカンクンから、カリブ海に浮かぶ最大の島、キューバへ向かいました!


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さて社会主義国キューバの国営航空キューバエアーの乗り心地はいかに??

ネットであまりいいうわさを聞いてなかったのであまり期待はしてませんでしたが。。。。


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離陸直前、いきなり煙が出てきた~目
しかも私の席の足元から!!(爆笑)



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な、何で~?!

私何もしてないで~!!


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最初かなりビビったけど、乗務員の女性は「いつものことよ」みたいな感じで驚きもせず。

そのまま飛行機は離陸体制に!


マジで?!

このまま飛んじゃうの??

お、落ちない??


焦りを通り越して、だんだん面白くなってきました(笑)

だって、機内がこんな状態なんですもの~!!


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もう笑えて笑えて。。。

他のお客さんも大笑い。


陽気な乗客ばっかりでよかったね~。


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こんな状態のまま空の上まで行きました。

ごほごほ言いながら(笑)


後にも先にも、こんな状態で飛んだのは生まれて初めて。

ジェットコースターよりスリルがありました。


キューバに行かれる方には是非キューバエアーをおすすめしますにひひ


機内ではやたらと入国資料を書かされ・・・

※ちなみに使ったのはこのうち1枚だけ。なんでやねん!!

スペイン語分からないなか苦労して書いたのに~


さわなおの世界一周一人旅


到着したらしたらで、荷物がなかなか出てこない。

まあこんなもんやろと気長に待ってると・・・

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た、タイヤ?!

タイヤから、テレビから、イスから・・・

いろんなものが流れてきました。


物資が極端に少ないキューバでは、皆海外で買ってきて持ち込んでいるようです。

大量のタイヤをバッゲージクレームで見たのも初めて。

楽しい経験ができました。


ちなみに荷物ピックアップまで、なんと1時間近く待ちました。



空港からホテルへ向かう際、”革命広場”の横を通ってもらったのですが。。。

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カストロとゲバラが迎えてくれました!!


「キューバに来たんだ~」としみじみ実感カゼ(ウルウル)


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街並みはスペインの植民地時代、アメリカの支配下にあった90年代に建てられたコロニアル様式の建築がそのまま残り、タイムスリップしたような感覚に陥ります。

飛行機の時間が送れ、また荷物のピックアップでも相当の時間をとられたので、ホテルに着いたら既に日が暮れていました。

早速、ホテル近くにあった、ヘミングウェイが通ったというバー「エル・フロリディータ」に行き、ダイキリを注文。


さわなおの世界一周一人旅

カウンターの端にはヘミングウェイの銅像が。

彼も砂糖抜きのダイキリを好んでよく飲んでいたそうです。



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キューバ音楽の生演奏が始まり、気分が盛り上がってきました!!

さわなおの世界一周一人旅

「ブエナビスタソシアルクラブ」の”chan chan”をリクエストしたら、めちゃくちゃ格好よくアレンジして演奏してくれ、気分は最高潮。

キューバ音楽はスペインのギターとアフリカの太鼓を合わせたものが基本だそうですが、このバンドはさらにコントラバスとバイオリンの弦楽器が合わさって、すごく渋い演奏でした。

気分がさらに高揚してきて、モヒートを追加オーダー(^^

さわなおの世界一周一人旅

名店らしく、お酒はどっちも最高に美味しかったです!!


キューバの音楽とお酒に酔った一日目の夜。


あとの2日は旧市街(オールドハバナ)を散策したり、ゲバラ博物館や要塞、革命博物館に行って、夜はお酒と音楽を楽しみたいと思います。


キューバでは、物資や食料が足りておらず、市民の月給も平均2400円(!)と、決して豊かな国ではありません。貧しいと言ってもいいかも。

ホテルも4つ星とはいえ、サービスはいまいちで(航空会社からの電話もつないでくれない(笑))、ネット環境もなく(ただ今別のホテルから更新中)、朝食のパンは硬くて食べられないという有様ですが、でも事前に調べてある程度は分かっていたので、仕方ないと思えば全く苦になりません。

社会主義国キューバは、人種差別もなく、医療も教育も無料の世界でも珍しい国。もちろんその弊害もあるようですが、人々は貧しくても明るく、悲壮感などは今のところ感じません。


3泊4日というわずかな時間ではありますが、この国の生活や人々に触れ、この国の素顔が少しでも見れたらいいなと思います。