少し髪がのびてきました。
最近、朝おきると、スーパーサイヤ人ばりに髪が逆立っています。
朝から戦うつもりはありませんが、髪だけ臨戦態勢☆
頭ん中は、ほとんど寝てますけどね(笑)


そろそろレポートの締切がキケンな季節になってきましたーーー!
がんばらねば。。。。


私は鈍行列車でいこうと決めているので、
あくまでも自分のペースでいければいいのですが、
時には新幹線に乗っている人をうらやましく思ったりもします。


どちらも見える景色は違っていて、どっちが良い悪いとは決められないのも
わかっております。
新幹線の人が経験できなかった、回り道した経験を胸をはって誇りと思える。


みんな、「うんうん、そうよね!」っていってくれると思う。
でも、実際リアルな場面になると、多くの人は新幹線を選ぶよね。

たまに、その無意識に「鈍行=劣っている」という感情が見えてしかたない。
これって私の被害妄想?なのかしら??


「時間」って枠組みが大衆文化に組み込まれたのは、ヨーロッパの
広場に時計台が設置されたとことから始まるんだそうな。

「これが時計です。豊か(近代化)になるために、時間になったら工場に
集まりましょう(働きましょう)。」


ってことで、時間で生活を区切っていくことがあたり前になっていったんでしょうね。
それは、過去とか未来とかも「区切る」ことにつながっていったと思う。
人は分類したり区切ったりするのが好きだから、時間で生活に区切りができたことは
マイナスではないかもしれない。
それに近代化は効率を求めたから、新幹線ができたのよね。


でも、世界には分類できなかったり、区切ったりできない「中間」があるじゃない?
効率だけでは得られないものが人には必要なんじゃない?


近代化・効率化の時代が長かったぶん(今もか。)人の無意識にも「効率的=○」が
すりこまれているのかなぁ?


ねぇ?


要するに、「時間」にあそばれてる人が(私をふくめ)多すぎじゃねー?ってことです。


「要するに」でまとまってませんが(笑)