元熊本県職員左遷閑職体験談3 | 地方公務員失敗例

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カッコウ托卵の人間版「危険な情事」熊本県職員バージョンのツイートです。

県職員大卒上級職事務職が、田舎の保健所異動になった段階で、事実上「死の宣告」つまり、エリートコースから陥落したことを意味します。
県職員としては、30歳代最後の3月31日又は9月30日までが余命です。
もう幹部にならないから、クビになるまで主任主事つまりヒラで出世止まります。
熊本県職員4月1日付異動、令和5年は土曜のため、
4月3日月曜が、異動先初出勤になります。
だから、田舎の閑職に左遷が決まった職員は、土日事前にストリートビューとかで予習した後、現地を見に行くでしょう。
そして、現実に現地を見て
「ああ、自分は左遷されたんだね。」
と実感します。
平成4年4月阿蘇保健所異動、
その年は4月1日が土曜なので、
4月3日月曜から出勤、午後から辞令交付式でした。
デモ、事前に職場を見たかったので、
当時の所在地阿蘇町(現在の阿蘇市)内牧に、
下見のため行きました。
そしたら、まず小さな狭い2階建ての建物にガッカリしました。
ナゼ事務職なのに保健所異動なのか?
それは、保健所が社交的な性格の技術職員と、内向的な性格の事務職員の二重構造だからです。
保健所の技術職員は、室内で来客の応対、ほとんど毎日外回り業務、社交的な性格向きです。
逆に事務職の仕事は、ほとんど室内の仕事のみで、内向的な性格向きです。
ここだけの話ですが、保健所に左遷される事務職は、
公私とも人間関係でトラブルした職員、
つまり人間関係が苦手な内向的な性格です。
だから、保健所の保健予防課職員は、誰も皆精神保健福祉のスペシャリスト!
そこで、保健所の技術職員から、人間的に矯正してもらいたく、配属させるワケです。
県職員事務職が、保健所に左遷されたからと言って、
100%未来が絶望というワケではないです。
そこでも、保健所技術職員のサポート受けながら、
改心して頑張って仕事して、県庁本庁に栄転した職員もいます。
デモ矯正不能なダメ職員が、残念ながら、保健所で職員として「死刑」を迎えます。